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名勝負の陰にライバル在り。~早慶、早明、死闘の裏側~ 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byAsami Hattori

posted2009/05/28 11:00

早稲田の永遠のライバルと言えば慶応。すでに1世紀以上もの長きにわたる両校の、野球部やボート部の熱き戦いは歴史の一部である。
同様に80年を超えるラグビーの好敵手、明治。あるいは近年、めきめきと頭角を現し、脅威となっている帝京大ラグビー部。
彼らは強敵をどのように迎え撃ち、何を感じたのか。

 早稲田大学の各競技部は、創意工夫をもって試合に臨み、スポーツの歴史に名を刻んできた。その歴史の中で、数々の名勝負を繰り広げている。創意工夫も、名勝負も、好敵手となる存在あればこそである。

 1903年の対戦を皮切りに、途中、あまりの過熱による中断などを挟みながら、実に384試合('08年まで)にわたり対戦してきたのが、慶応義塾大学野球部である。

 ヤクルトスワローズで活躍、引退後スポーツライターとして活躍する青島健太は'77年入学。「大学に行くなら早慶戦に出てみたい」と両校のセレクションに参加し、進路を慶応に定めた。

「早稲田は、高校野球界のそうそうたる顔ぶれが参加していて、そのままドラフトにかかりそうな選手もいました。慶応のほうは、自分のほうが上手いと思えるような選手もいて、早慶戦出場への道は近いかなと(笑)」

慶応が連敗して早稲田が優勝……明と暗の残酷さにしびれた。

 実際、早稲田の各学年には、のちにプロ野球で活躍する選手がいた。主な名前をあげれば、青島の3学年上に山倉和博、2つ上に金森栄治、1つ上に岡田彰布である。

 入学すると、早稲田戦の重みを実感させられることになった。

「早慶戦の前は2週間空くのですが、早稲田戦に向けてかなり追い込んだ練習をしましたね。3年、4年生から、言葉はないけれど、早稲田に負けるわけにはいかない、と感じさせられる強烈な練習内容が提示されるんです。それをこなして、まるで心身を研ぎ澄まして決戦に挑むといった過ごし方でした」

 1年の秋はベンチ入り。2年生でレギュラーを獲得した青島は、3年の秋には6本塁打、22打点を記録。22打点は現在もリーグ記録である。4年時には主将を務めている。

 その4年間を、青島はこう表現する。

「対抗戦ならではの相手を乗り越えてやろうみたいな独特の雰囲気というか、いろいろな思いが持ち込まれることによる息苦しさの中でもがく、高地トレーニング的な場所でした」

 中でも強く記憶に刻まれるのは、2年秋の対決である。

「慶応と早稲田、勝った方が優勝という状況での対戦でしたが、慶応が連敗して早稲田が優勝したんです。目の前でどれだけ紙吹雪が飛んだか。優勝する、しないの明と暗のコントラストをみせつけられて、しびれましたね」

今よりもずっとストイックだった昔の早稲田野球部。

 4年間競い合った早稲田は、どのようなチームだったか。

「ストイックな印象がありましたね。激しい競争を勝ち上がった連中が試合に出ているし、ちょっと隙があればレギュラーも失うというイメージ。最近の早稲田には非常にのびのびした、解放された印象があります。人間科学部とスポーツ科学部がたちあがって、スポーツのエキスパートをきちんと迎え入れる場所ができたからではないでしょうか」

 野球の早慶戦同様、長い伝統を誇るのがラグビーの「早明戦」である。明治大学ラグビー部主将を務めた田中澄憲(現サントリー)は、少年の頃からテレビで試合を観ていた。

「いつかあそこで出来ればいいな」

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