Sports Graphic NumberBACK NUMBER

黒木知宏 「揺るぎなき情熱」 

text by

吉井妙子

吉井妙子Taeko Yoshii

PROFILE

photograph by

posted2005/11/24 00:00

SPECIAL FEATURES

[復活への序曲]黒木知宏「揺るぎなき情熱」

吉井妙子=文

text by Taeko Yoshii

 海の香りがわずかに漂う千葉マリンスタジアムは、地鳴りのような喚声に包まれていた。真夏の闇夜を切り裂く巨大な照明が、天空に両手を突き上げる黒木知宏の汗を輝かせている。

 「お帰り、ジョニー」「この日を待ってたぜ」

 黒木の背番号「54」のレプリカユニフォームをまとい、目頭を押さえている中年男性がいる。「お前が一番」と染め抜いた旗を振りながら、唇を震わせている若者もいた。

 8月28日の対オリックス戦。ロッテは、10年ぶりのAクラスとプレーオフ進出をかけた大事な一戦に、今季初登板の黒木をマウンドに送った。予告先発をされていたことから、徹夜組の200人を含め、試合開始4時間前には自由席を求めて1000人の人垣が球場を囲んだ。スタジアムに入りきれない人々は、場外のスクリーンで黒木を応援しようとしていた。

 そんなファンの熱は、マウンドの黒木にも届く。

 「もうね、新人の初マウンドの時以上に緊張していた。バレンタイン監督に登板を打診されたのは、1週間ほど前。それ以来、緊張で吹き出物が治らなかった」

 今シーズン31年ぶりに日本一に輝いたロッテは、10勝投手が6人もいるほど、投手層が厚い。それだけの面子が揃っている中で、黒木が指名されたのだ。責任感が人一倍強い黒木ならプレッシャーを感じて当然だが、しかしそれ以上に、二軍で自分のピッチングに手応えをつかんでいたため、極度の緊張は、自分に対する期待の裏返しでもあった。

 「ファームの試合である程度思い通りの球が投げられていたので、一軍でも通用するのかどうか、期待と不安が交錯していた。でも、やっぱり一軍のヒリヒリするような空気感はいい。あの緊張感のおかげで、一軍にいる実感を味わえた」

 マウンドに上がった黒木は、白球に魂を乗せた。「うりゃああ」という雄叫びがスタンドに届く。その度にファンはどよめき、黒木が「帰ってきた」ことを確認した。守備陣にも黒木の気迫が乗り移ったのか、ファインプレイが続出し、オリックスの反撃を許さない。落差の大きいカーブ、落ちるスライダーを決め球に、6回3分の2を無失点で投げ終えた。4-0とロッテの圧勝だった。

 黒木の力投に、チームも派手なセレモニーでお返しをした。54発の花火を打ち上げ、復活の道のりの映像をバックスクリーンに流す。球団の“思い”に胸が詰まった。しかし、絶対に涙は見せまいと決めていた。

 ヒーローインタビューでお立ち台に上がる。喚声に包まれていた場内は水を打ったように静まりかえり、3万人の視線が黒木に注がれた。

 「待っていたファンの皆さん、ありがとうございました。長い間、お待たせしました」

 黒木は、晴れ舞台でも訛っていた。そんな飾らない姿にファンは反応する。目を赤くした中年男性が、お立ち台に立つ黒木に声を張り上げた。

 「万年Bクラスといわれていたロッテを、お前が引っ張ってきたのを僕らは知っている。そのために怪我したのもな。ジョニーがいたから、今のロッテがあるんだ」

 '95年にプロ入りした黒木は、'97年から5年連続で2ケタ勝利を挙げ、本格派投手としてロッテのエースに君臨していた。感情を剥き出しにする泥臭い言動にもファンは魅せられる。一塁走者が盗塁しようとすると「ウロチョロするな、このボケ!」と叫び、バッターに対し「ぶっ殺してやる」とブツブツつぶやく。わかりやすさが魅力だった。イチローや中田英寿に代表されるように、ヒーローはクールに装うのが良しとされる時代に、黒木のようなタイプはかえって新鮮だった。

 マウンドでの熱き魂は、幾つかの物語も作った。今なお、野球ファンに語り継がれているのが、'98年7月7日のオリックス戦で紡がれた「七夕の悲劇」である。16連敗というプロ野球史上最悪のタイ記録を作ったロッテは、連敗を止めようとストッパーに回っていた黒木を先発として起用する。しかし、9回2死まで渾身の力を込め打者を封じ続け、あと一人というところで同点2ランを許してしまう。その瞬間、黒木はマウンドにへたり込んだ。野球ファンが、試合中に泣き崩れる投手を見るのは、おそらく初めてだった。

 そんな黒木を、同級生でもある元近鉄の中村紀洋が、苦笑いしながらこう言ったことがある。

 「あいつは熱いというより、暑苦しい」

 その一方で、マウンド上での鬼気迫る形相は、相手バッターの意欲をも萎えさせた。かつて「平成の名勝負」と称され、黒木と投げ合った西武の松坂大輔が言う。

 「相手が黒木さんだと、うちのベンチが『打てないかもな』という雰囲気になっているのがわかった。だから僕も、黒木さんと投げ合う時は燃えた」

 ロッテのエースというより球界の顔でもあった黒木が、マウンドから姿を消したのは'01年の7月末。右肩を痛めたのだ。激痛が肩を刺し、車のハンドルも握れず、箸すら持てなくなった。医師の診断は「右肩腱板部分断裂」。右腕を動かす集積回路が埋め込まれている部分の、四つのうち一つが断裂、もう一カ所が損傷していた。

 兆候はその年の6月くらいからあった。しかし魂のエースは、口が裂けても「肩が痛い」とは言えなかった。身体の悲鳴を無視し、マウンドに立ち続けた。

 手術をすべきかどうか悩んだ。村田兆治や桑田真澄など、ひじの手術から回復した投手はいるが、肩にメスを入れて復帰した投手は、いない。ならば、自分の自然治癒能力に賭けてみようと思った。

 そこから長い葛藤の日々が始まった。

(以下、Number641号へ)

■関連コラム► 【指揮官は語る】 ボビー・バレンタイン トータルベースボールという選択。
► 千葉ロッテマリーンズは、本気だ。

ページトップ