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安藤勝己 鞍上、リアリスト。 

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阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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posted2004/05/20 00:00

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[駆け上がった男]安藤勝己 鞍上、リアリスト。

阿部珠樹=文

text by Tamaki Abe

 日本の競馬は、世界でも珍しい中央、地方の「一国二制度」のもとで行われている。その功罪は別として、ふり返ってみると、中央競馬の転換期には、不思議と地方競馬出身のスターホースが現れてきた。'70年代の競馬大衆化時代のハイセイコー、'80年代のバブル期のオグリキャップ、'90年代、交流競走の登場による開放の時代のライデンリーダーなどがそれだ。こうした馬たちの活躍によって、競馬シーンは活気を帯び、新しい生命を吹き込まれてきた。今年のコスモバルクのダービーへの挑戦もその系譜につらなる快挙だろう。

 地方と中央をまたにかけ、競馬に新しい生命を吹き込む。その意義について語ってもらうのに、安藤勝己ほどふさわしい人はいないだろう。公営笠松のトップジョッキーから不惑を過ぎての中央競馬への移籍という自身の進路だけでなく、ハイセイコーは別にして、オグリキャップともライデンリーダーとも深くかかわってきたアンカツに、地方と中央の過去と現在、そして今年のクラシック戦線を語ってもらった。

 安藤は1960年生まれ、ハイセイコーブームの年、ちょうど中学生になった。少年マンガ誌の表紙にもなったほど、子どもたちにも人気のあったハイセイコーである。その勇姿を見て、競馬に惹かれ、というのなら話の筋がぴったり来るのだが。

 「ハイセイコーを見た記憶は全然ないね。騒がれてたなという記憶もない。だいたい、オレはテレビで競馬を見たことはほとんどなかった。それに当時は、競馬の情報も少なかったしね。だから、いまの若い人たちみたいに、テレビで見てあこがれて騎手になろうなんて考えることは全然なかったね」

 安藤少年にとって、競馬はあこがれよりも、もっと直接的な遊びの対象だった。中学生になったころ、父の友人だった笠松の吉田秋好調教師のもとに、兄の光彰といっしょに連れて行ってもらい、その後、しばしば遊びに行くようになった。当時はのんびりしていたので、子どもたちが厩舎作業の手伝いをしたり、馬に触っても、あまりうるさくいわれなかったらしい。

 「ほんと、馬に触るのが楽しかった。だから、大きくなっても、なにか馬に関係した仕事ができればいいなって、漠然と考えたんだね」

 騎手という職業にあこがれを抱いて、競馬の世界をめざすといった、最近の若い騎手とはまったく違う、牧歌的な出会いが、安藤を競馬に引き込んだのだ。だからハイセイコーはもちろん、中央と地方の違いなどもほとんどわからないまま、修業期間を終えて、笠松で騎手としてデビューした。持ち前の研究熱心さと負けず嫌いに加えて、吉田調教師の厳しい指導もあってデビュー3年目で笠松のリーディングジョッキーに。以後、「笠松にアンカツあり」と、中央のファンにまでその名をとどろかす活躍がはじまる。その活躍が最初のピークを迎えようとしていた27歳のとき、オグリキャップと出会う。この怪物に7回騎乗して、一度も負けなかった。

 中央入りしたオグリキャップは、さまざまな名勝負を繰り広げるが、地方の競馬にも通じたファンの間では、「オグリキャップはアンカツが育てた」という話がまことしやかにささやかれた。だが、この伝説を、当人は笑って否定する。

 「オレがオグリに教え込んだことなんてなかったよ。かえって、こっちがいろんなことを教えてもらった。オグリが中央に行って活躍するようになると、オレに、中央でオグリに乗ってみたいでしょうって聞く人もいたけど、そんなことは考えなかったね。騎手としてじゃなく、一ファンとして純粋に応援していた。そのころは地方の騎手が中央で乗るなんて仕組みはなかったし、オレ自身、笠松で乗る馬もたくさんいたからね。その乗り馬をどう勝たせるかで精一杯で、中央に行ったオグリに乗ってどうこう、なんてことは、思い浮かばなかったね」

 字面だけを追えば、クールすぎるようにも思えるが、乗り役と馬との関係は、ファンが考えるほどロマンチックなものではない。中央で華やかに脚光を浴びるオグリキャップに、騎乗したいとまったく思わなかったわけでもないだろうが、制度がない以上、考えても仕方がないと思ったのもたしかだろう。

 以前、話を聞いたときにも感じたのだが、安藤には独特のクールさがある。いや、リアルさといったほうが正確か。冷たいとか気取っているというのではない。外からの目で、物語に富んだ話を期待して聞いても、柳に風で、あまり乗ってくることはない。目の前に騎乗馬がいる限り、そのこa渠とだけを考える。目に見えるものにだけ集中する。

 安藤がデビューしたころ、公営名古屋に坂本敏美という名騎手がいた。常にリーディング1位を譲らず、勝てそうにない馬も勝たせてしまう。その不思議な手腕に、安藤も惹かれはしたが、真似たり影響を受けることはなかったという。

 「乗る格好なんかは、どっちかというと変なんだ。ペース判断なんかもよくわからないところがあった。それでも勝たせてしまうんだから、天才だったね。だからオレはすごいなと思っても、真似してみようなんて思わなかった。影響を受けたのは、勝ち星は坂本さんより少ないけど、乗り方がわかりやすく、オーソドックスな先輩だった」

 論理を超えた天才よりも論理的な秀才にあこがれる。このリアルさが安藤の個性なのだ。

 オグリキャップと安藤の名誉のためにつけ加えておけば、笠松での引退式で3年ぶりに再会した安藤とオグリキャップは、馬場を1周すればよいところを、2周して観客を驚かせた。「絆を確かめあった」わけで、やはり結びつきは深かったのだ。

愛馬ライデンリーダーと中央のクラシックに臨む。

 実際に騎乗していても、教えられる一方だったオグリキャップに比べて、ライデンリーダーは、文字通り苦楽をともにした盟友だった。笠松の2歳時、連戦連勝で女傑などと騒がれたライデンリーダーは、'95年の春、地方在籍のまま、中央のクラシックに挑戦する。ちょうど、地方と中央の交流競走がはじまった年で、その新制度の皮袋に入れる新しい酒がライデンリーダーだった。そして桜花賞トライアルで2着を3馬身も突き放す豪快な勝ち方を見せて、1番人気で桜花賞に臨んだ。

「ライデンリーダーは笠松で負けなしだったけど、牝馬ということもあって、オグリキャップみたいなすごさは感じなかった。桜花賞では1番人気になったけど、オレとしては、少し騒がれすぎかなと思っていた。自信がないわけじゃなかったけど、クラシックを勝つのは、そう簡単でもないだろうってね。ただ、そうは考えていても、こっちも中央の芝コースでのレースは、経験が少ないんで、地方のレースなら立つような計算が、全然立てられなかった。トライアルなんかも、いまから思えば、あんなに突き放して勝つ必要はなかっただろうし、本番での重圧を計算すれば、2、3着で終わってたほうがよかったかもしれない。でも勝ち方を計算して乗ったレースではなかったから、終わってみて、ああ、思ったより強かったな、なんてびっくりしたくらいでね」

 トライアルの強烈な勝ち方を見せつけられた上に、外から乗り込んできて、クラシックの主役を奪いかねないような注目を浴びる安藤とライデンリーダーに、中央の騎手たちが闘志を燃やしたのは想像に難くない。本番の桜花賞、ライデンリーダーは4着だった。終始、馬混みに包まれ、なかなか行き場の見つからない苦しいレースだった。意図的に作られた「包囲網」ではなかったにせよ、中央の騎手たちの意地の形が現れていた。

 4着に敗れたライデンリーダーを、ファンはオークスでも1番人気に押し上げた。オグリキャップの記憶がまだ鮮明だったこともあり、地方の名手と怪物が、中央に新しい風を吹き込んでくれるという期待は、ファンの間に強かった。安藤をはじめ、ライデンリーダー陣営の強気な発言も、それを後押しした。

 「オレも、調教師の荒川先生も、距離が伸びるオークスのほうが、絶対よく走ると思っていた。トライアルの直線の脚を見ると、東京の長い直線が向いているように思えたんだね。ただ、トライアルや桜花賞に比べると、馬の状態はあまりよくなかった。コンディションに不安がある上に、桜花賞で包まれて苦しかったこともあって、オークスは先行させようということになったんだ」

 直線の勝負に賭けると思われていたライデンリーダーが、馬群を引き連れて先行したので、スタンドは騒然となった。だが、ライデンリーダーがスタンドを沸かせたのはそのときだけで、あとは直線を向くと馬群に呑み込まれ、消えていってしまった。

 「ライデンリーダーは神経質なところのある馬だったから、地方と中央の環境の違いに戸惑ったことはあるだろう。それと、いまから思えば、調教施設の違いなんかも大きな差になって出てきたんだと思う。今年のコスモバルクは、普段、設備の整った牧場で、十分に乗られているけど、ライデンリーダーは、小回りの笠松でやるしかなかったからね」

 ライデンリーダーで味わった苦さは、安藤の目を中央に向けるきっかけになった。なんとか中央のG1でもいいレースがしたい。そのためには、芝での騎乗技術をもっと磨く必要がある。そう考えた安藤は、マカオなどの海外競馬に遠征して、芝の感覚を磨こうと努めた。

 「ただ、海外は、騎乗数が少ないからね。ほんとうに中央のG1を意識して乗るようになったのは、指定交流競走の制度ができて、地方の馬以外にも乗せてもらえるようになってからだね」

  '95年、その日、特別指定交流競走に出走する地方の馬に騎乗する地方の騎手は、ほかのレースで、中央の馬にも乗ることができるというシステムができた。安藤の腕は、関西の調教師の間ではかなり知れ渡っていたから、騎乗依頼は途切れず、中央での勝ち星が増えるにしたがって、「殺到」といえるまでになった。そして100を超える勝ち星を積み重ね、去年、地方の騎手として、はじめて中央競馬の騎手免許を取得することに成功した。

 「地方に籍があって、中央のG1に乗るときのほうが、今よりも、どうしても勝ちたいという気持ちは強かったね。地方にいると、どうしてもよい馬、チャンスのある馬に乗る機会が少ない。何年かに1頭しか出会わないような馬に乗ると、これで獲るしかないって硬くなってしまうんだね。レジェンドハンターのときなんかは、勝ちたいっていう気持ちが強くて、ヘグッて(失敗して)しまった」

やっぱりダービーは違うなあと思った。

 99年の朝日杯3歳ステークスに安藤騎乗で出走した笠松のレジェンドハンターは、ハイペースの中、果敢に先行して直線では懸命に逃げ込みを図ったが、あとわずかのところで、エイシンプレストンに差されてしまった。勝ちたい気持ち、これしかないという気持ちが、名手アンカツの腕を狂わせてしまったのだ。

 「それに比べると、今は、軽く考えるというわけじゃないが、ひとつ勝てなくても、そのうちチャンスは回ってくるだろうって思えるようになった。だから、地方にいたときほど、G1だからといって硬くなるようなことはなくなったね」

 もちろん、中央に移籍して最初のG1、昨年の高松宮記念をビリーヴであざやかに制し、秋には菊花賞でザッツザプレンティに勝利をもたらした実績が、G1に対する過剰な意識を薄めさせることにつながってはいるのだろう。

 「いくら地方にいたまま中央のレースにも乗れるようになったからといって、やっぱり、地方の騎手や馬が、中央のG1を勝つのは簡単じゃない。今年の皐月賞にしても、コスモバルクの五十嵐くんは、よく乗っていたと思う。ただ、あえていえば、レース中に包まれたり、うしろから来る馬に差されるのを警戒して、大事に乗りすぎたかもしれない。でも、皐月賞みたく、レースが前残りになったからといって、早く動けとも言い切れないんだよなあ。特に、コスモバルクは、引っかかるところのある馬だろ。早めに仕掛けて折り合いを欠いて、最後の直線で伸びがなくなるという心配もある。だから、五十嵐くんの判断が悪かったとは、簡単には決め付けられないんだよな」

 騎乗法はともかく、コスモバルクの潜在能力は、安藤も高く評価している。

 「弥生賞のとき、ほかの馬に乗って見ていて、あの馬は強いなと思った。皐月賞を勝たれても不思議はないなって」

 その力を認めるコスモバルクは、父ザグレブ。サンデーサイレンスの産駒が長く席巻してきたクラシック戦線の中では、異色の存在である。皐月賞馬ダイワメジャーに代表されるエスタブリッシュメントと、地方在籍の野武士の戦い。それが今年のクラシックの基本構図だ。

 「そりゃあ、たしかに、いい種牡馬からは、いい子が生まれる確率は高いさ。でも、それと、一頭一頭の力とは、また別の問題でね。クラシックに勝ち上がって出てくるような馬なら、力にそれほど差があるわけじゃない。同じレースに出てこられるような馬なら、血統は違っていても、十分勝負になるさ」

 今年のクラシック、安藤はサンデーサイレンスの産駒ハーツクライで皐月賞に挑んだ。地方の雄として、エスタブリッシュメントに挑んできたアンカツの経歴を考えると、皮肉な気もするが、もちろん、いまや中央のトップジョッキーになった安藤に、そうした皮肉なめぐり合わせへの感傷などはない。

 「ハーツクライはもともと中山向きじゃないと思っていたし、流れも合わなかったからね。ダービーはどうかわからないけど、将来は楽しみだよ」

 現段階で、安藤がどの馬でダービーに出てくるかははっきりしていないが、NHKマイルカップで有力視されるキングカメハメハという声もある。

 「NHKマイルカップでいいレースができれば、ダービーは楽しみなんじゃないかな。絶対に距離が延びたほうがいい馬だし」

 乗るかどうかはお茶を濁したが、手綱が回ってくれば、地方の雄コスモバルクにアンカツが年度代表馬も出している良血の父を持つ馬で立ちはだかるといった劇的な場面も見られるかもしれない。

 「前はG1はどれもいっしょだと思ってたけど、去年3着に負けて、その横で、勝ったデムーロがすごい歓声で迎えられるのを見ていて、やっぱりダービーは違うなあと思ったね」

 そのG1の中のG1の帰趨に、安藤の腕が大きく影響することは間違いない。

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