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北朝鮮、本当に「謎」ですか? 

text by

吉崎英治

吉崎英治Eiji Yoshizaki

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posted2007/12/28 10:50

 謎だ、秘密のヴェールだと何かと騒がしい。政治問題とのかかわりだとか、アウェーでの人工芝使用説だとか、はたまた、「選手はともかくプレスやサポーター分のビザが下りるかどうか微妙な状況」という話まで……。

 先日行われたドイツワールドカップ・アジア最終予選の抽選会で2005年2月9日(ホーム)と6月8日(アウェー)に北朝鮮代表との対戦が決まって以降のことだ。

 たしかに近年、国際大会への出場自体がなかった時期もあるチームとあっては情報量が乏しいのも仕方ない。

 だが、果たして言われているほど、謎めいた「恐い」相手なんだろうか。

 北朝鮮代表の唯一の本大会出場は、1966年イングランド大会。予選リーグでイタリアを下し、ベスト8入りした伝説はあまりにも有名だ。無尽の体力がベースの全員攻撃・全員守備を身上としたチームは「赤い稲妻」として名を馳せた。それ以来、'94年アメリカ大会でサウジアラビアがベルギーに勝つまで、実に 28年もアジアの国は一度もヨーロッパに勝てなかったんだから、当時の衝撃の強さは想像に難くない。

 しかし、この後北朝鮮サッカーはガクッと低迷してしまう。理由は壮絶なものだった。― '94年ワールドカップ予選時のチーム団長で、'99年に韓国に亡命したユン・ミョンチャンさんは、現役時代に低迷期のはじまりを体験している。

 「'66年のメンバーの多くが、'68年に政治的理由のため粛清され、地方の炭鉱などに送られたんです。次の世代の我々は、先輩たちのノウハウを全く引き継げなかった」

 それでも'66年の威光は強く、サッカーは卓球などと並び、国内トップクラスの人気を誇る。若き日の金正日総書記も、'70年代中盤まではたびたび代表チームのトレーニング場で「指導」を行い、高級品のアディダス製スパイクなどを贈っていたのだという。ユンさんは当時を「韓国よりも経済状況の良かった時代に、いわば国家の王がサッカーをバックアップしていた。力は落ちてもまだ自分たちがアジアナンバーワンだと思っていた」と振り返る。

 そんな北朝鮮代表に対し「謎」のイメージがより強くなったのは、'90年代後半からだろう。'98年、'02年と2大会連続でワールドカップ予選に参加せず、今回12年ぶりの予選での対戦が決まると、日本国内では関係者もメディアも大慌て。ジーコ監督も「この国だけは謎」と深刻な面持ちだ。

 さらにこのチームを謎めかせる情報がある。北朝鮮代表はここ数年上昇ムードにある。'00年後半に若手中心のチームに大刷新すると、'01年9月のサムスンカップ(中国)、'02年2月のキングスカップ(タイ)で立て続けに優勝した。

 この流れに乗った今回の1次予選突破には、軍隊チームの動向がかなり強い影響を与えているというのだ。

 韓国の有力紙「中央日報」の'04年12月10日付の紙面には、こんな記事が出ている。

 「北朝鮮代表は最近、軍チームの4・25(サー・イーオー)所属の選手が大部分となっている。4・25の名は人民軍創設日である4月25日に由来する。今年のはじめ、4・25と『社会一般選抜チーム』(4・25を除いた14チーム)が2試合を行い、4・25が連勝した。それにより、代表チームの中心は4・25の選手になり、それ以外のチームからは何人かが追加されるような構成になった。事実上の単一チームであるため、チームワークが悪いはずがない」

 今年から代表チームを率いるユン・ジョンス監督も4・25の出身。亡命者と親しい韓国のサッカー記者によると「少なくとも'90年代後半は、軍隊の選手が招集できず、50%程度の戦力で戦っていた」のだという。'90年代には代表チーム主将をつとめ、何度も日本と対戦したユン監督は、国内では強いカリスマ性を持つ。新監督により、テクニックは劣るもののパワー、スピードあふれるイングランドスタイルのサッカーが導入され、復活の足がかりをつかんだ。

 と、いうことは……最終予選で対戦する北朝鮮代表は、見たこともないような“軍隊式”のフェイントや、驚愕の体力でジーコジャパンを悩ませるのか……。

(以下 Number618号 へ)

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