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名作ノンフィクション 「江夏の21球」はこうして生まれた 【連載最終回】 

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岡崎満義

岡崎満義Mitsuyoshi Okazaki

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posted2009/04/06 09:00

名作ノンフィクション 「江夏の21球」はこうして生まれた 【連載最終回】<Number Web>

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名投手江夏に苦難の時代が訪れた。阪神→南海→広島→日本ハム→西武と渡り歩いた江夏は、ついに引退。最後にブリューワーズが行った春キャンプに参加し、大リーグに挑んだ。

野村克也監督との出会い――“投手の革命”に挑戦する

 この年のシーズンオフ、江夏は吉田義男監督から“追放”された。肩を痛めた問題児は必要ないと見放されたのである。江夏は「自分は阪神の江夏」と思ってきた。おまえはいらない、といわれて、なお未練たらしく他チームで野球をやるつもりはなかった。いさぎよく球界から身をひきたいと思った。

 そんなとき、南海の野村克也監督から、突然、一度会って話がしたいと連絡があった。野球をやめるつもりだったから、何の期待も抱かずに、では会うだけは会ってみようと、野村に会った。

 野村はボソボソとした声で、10月1日の広島戦のことを話題にした。

「衣笠の2-3のあとに投げた球、意識してボールを投げたやろ」

 とズバリ指摘した。内心驚いた。ちゃんと見てくれてる人もいる! 野球の指導者に対する不信感が揺らいだのである。このときの野村の慧眼(けいがん)がなかったら、その後の江夏は存在しなかった。昭和51年から南海へ移り、野村のアドバイスをうけて「リリーフ投手」に変身、さらに広島に行ってリリーフの仕事を磨いたのだ。

 江夏は南海に入って二年目の52年5月31日、対近鉄戦に先発3回3分の1を投げて4点とられて降板。以後、リリーフに徹することになる。どうしても先発完投の夢が忘れられなかったが、肩と肘の状態を的確に見抜いた野村監督の執拗な説得で、リリーフ投手に踏み切った。野村に野球の本当の面白さ、奥行きの深さを教わり、もっと話がしたいと野村が住んでいた刀根山マンションに引っ越したほどである。思いこんだらそのままのめりこんでいく江夏の性格がよく表れている。野村から、「投手の“革命”を起こしてみろ」と言われた言葉がいまでも忘れられない。「“革命”という言葉を聞かなかったら依然として先発に固執していたかもしれん」という。

 そして広島に移ったあと、衣笠選手が「野球選手は毎日野球せんと駄目や。投手も毎日ベンチに入って戦うべきだと思う」といった言葉にひらめくものがあった。江夏はリリーフ専門で「あがりなし」、つまり毎日ベンチ入りするようになった。これはまさに投手の“革命”である。

 江夏はそれまで9回二七人の打者を全部3球三振、81球で試合を終えるのが投手にとって最高だ、と思っていた。ところがリリーフに回ってからガラリと考えが変わった。投手にとって最高の試合は一人1球、27球で試合を片付けることだ、と思うようになった。リリーフ投手は9回投げるわけではないが、一人1球も精神を忘れてはならない、とたえず自分に言い聞かせた。かつて江夏は「一日に三回試合をする男」といわれた。球場に行く前に一度、本番を想定して投球を組み立てる。そして実際の試合。最後は終わったあと、試合を振りかえって丹念にノートをつける。江夏のノートは大変な分量になるという。それだけの男の「一人1球」にはすさまじい精神のドラマがあるはずだ。

納得できる場所でもう一度投げたかった

 江夏の球歴を丹念にたどっていくと、いくつもの「あの一球」に出会う。いくつもの「あの一球」には大きな力がこもり、江夏を投手としての高みにグイグイ押し上げた。

 たとえば――昭和43年9月17日、甲子園で阪神-巨人20回戦が行われた。入団二年目の江夏は開幕以来、絶好調だった。向かうところ敵なし。8月8日対中日戦で16三振を奪って金田正一の一試合セ・リーグ奪三振記録タイとなった。

 そして迎えた9月17日の巨人戦。江夏は3回高橋一三(かずみ)から三振を奪い、シーズン351個の奪三振セ・リーグ記録をつくった(それまでは金田の350)。次の目標は稲尾和久のもつ日本記録353個である。4回に土井正三、王貞治からさっそうと三振を奪って日本タイ。

 ここで江夏は、日本記録はどうしても王選手から三振をとって決めたいと思った。先輩村山実が長島茂雄との対決に全力を投じてファンを沸かせたように、いつでも自分は王と真正面から勝負したる、と心に決めていた。それが男の勝負だ。ファンもそれを喜んでくれるのだ。ライバルは王だ。この年の春のキャンプで、林義一コーチからカーブの投げ方を教わり、「フォークボールみたいな感じの、キュキュッと鋭角的に曲がる」カーブを身につけて強力な武器としていたが、王に対しては自分の最高のボールである速球一本槍で戦っていた。わざわざ直球の握りを見せて、真っ向から戦いを挑んだ。王も負けずに力いっぱいスイングしてきた。長島にいわせると「3m前からボールの風を切る音が変わる」ほどの、回転のいいスピードボールであった。プレートからホームベースまで18.44mの空中にできた目に見えぬ階段を猛烈な勢いで、クックックッと駆けおりていくような、勢いのある球であった。

 とにかくあと1個で新記録である。しかし王に打順が回るまでには八人もいる。「あっ、今日は江夏、狙ってるな、と思ったね。王さんまでまちがっても三振をとらんように打ちやすい球を放(ほう)っていたね。いちばん危なかったのは高橋一三に2-1になったとき。ゆるいボールでセカンドゴロを打たせてホッとしてたな」(捕手・辻恭彦の話)

 そして7回、思いどおりに王を2-1から三振に仕留めて354個の日本新記録をつくっている。大胆不敵の離れ業(わざ)である。しかも、この試合は0-0で延長戦に入り、江夏自らがサヨナラ安打で熱戦にケリをつけている。王も江夏と出会ったときから「あの男、オレに特別に執着しているなと思ったね。それでも力と力でぶつかれる格好のライバルがでてきた、という大きな励みになったよ。三振とられても、こちらがホームランを打っても、江夏との対決はスカッとした感じだけが残っている」となつかしそうに話す。この年、江夏は米大リーグのコーファックスのもつ1シーズン奪三振382個を大幅に破る401個の世界記録を打ち立てている。

 江夏―王の対決は昭和42年から55年までに(51、52年は江夏の南海移籍で対戦なし)、本塁打20、打率2割8分7厘、三振57という記録が残っている。ちなみに江夏が最も多くホームランを打たれたのは王(2位は長島の14)であり、また王が最も多く三振を奪われたのは江夏(2位は村山の47)である。

「でもね、20勝とか3割とか、記録ではないよ。プロとは自分の生き様をはっきりさせること。何に美しさを感じるかだ」と、いま江夏は言い切る。そしてそのあとに「いまのプロ野球にはロマンチックな人間は用がなくなったんだ。損得だけの野球だよ。ONに対戦できたのはほんとに最高の幸福だったね」という言葉がつづいた。ON、とくにO攻略に注いだ異常な熱量、流した膨大な汗の量こそが、江夏を支える財産であった。時を経たいま、汗が乾いて白く残った塩のヒリヒリとした辛さに、戦友・王との友情を感じたりするのだ。

江夏豊たった一人の引退式

江夏豊 写真

 そんな江夏が辛い最期を迎えた。阪神→南海→広島→日本ハム→西武と渡り歩いて、江夏は自分の最後を「ボロボロになるまで投げる。自分が全力を出し切って投げたボールを、名もない若造バッターにいとも簡単にスタンドに叩き込まれる。それで終わり。でも胸を張ってマウンドを降りるのだ」と考えていた。しかし現実はそうならなかった。

 広岡達朗監督との軋轢(あつれき)が原因で、59年9月10日、西武球場で西武の二軍の若手十七人に対して投げた56球がプロ球界での最後であった。

 昭和60年1月19日、『ナンバー』主催、「名球会」後援で多摩市営球場で「江夏豊たった一人の引退式」を行った。引退式は天候に恵まれ、一万人を超すファンが全国から集まった。江夏は阪神の縦縞(たてじま)のユニフォームで背番号28をつけてマウンドに上がり、応援にかけつけた山本浩二、大杉勝男、江藤慎一、福本豊、高橋慶彦、落合博満、辻恭彦らに対して27球を投げてみせた。引退式実現にいたるまでにはいくつものトラブルがあった。しかしそのことはここには書かない(興味のある人は『ナンバー』138号を読んでいただきたい)。

 その後大リーグのブリューワーズの春のキャンプに加わった江夏は、たくさんの若いライバルたちと競争し、次々にそのライバルを蹴ちらし、最後の一人の枠(わく)をヒゲラ投手と争う形になって、落とされた。江夏の大リーガーという夢は断たれた。

「大リーグ入りが一番の目的やったら、絶対残ってるでしょう。1Aか2Aからやっていく方法もあったし、次の年もう一回チャレンジすることもできた。しかし、自分がブリューワーズのキャンプに来た最大の目的は、自分の納得できる場所でもう一回投げてみたいということやった。できれば大リーグに入ってやってみたい気持ちも大きかったが、何よりも不完全燃焼でくすぶりつづけている“投手魂”というものを、納得させられる場所がほしかったんやね。西武の広岡という男に死に場所をとられたんやからね。あのとき、死に場所を大リーグに求めるしかなかった。ブリューワーズのキャンプで納得した。オレと最後まで争った若いヒゲラ投手が、その年、15勝をあげたと知って、実にうれしかった」。江夏の心意気はいまもなお消えてはいない。

 

江夏豊 (えなつゆたか)
昭和23年5月15日生まれ。大阪学院高出身。選手実動年数18年。通算投手成績829試合、206勝、158敗、193セーブ。投球回数3196回、被本塁打299本、与四球982、奪三振2987、防御率2.49。個人タイトル:最優秀防御率(44年)、最多勝利(43・48年)、最多奪三振(42・43・44・45・46・47年)、最優秀救援(52・54・55・56・57年)、MVP(54・56年)、ベストナイン(43年)、沢村賞(43年)。

 

この連載は『プロ野球不滅のヒーローたち 豪球列伝』(スポーツ・グラフィック「ナンバー」編/文春文庫/1986年刊)より再録しました。

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