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藤本淳吾 エスパルスの10番は代表で生き残れるか。 

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白瀬まゆ美

白瀬まゆ美Mayumi Shirase

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posted2007/05/31 23:39

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[新世代の肖像]藤本淳吾 エスパルスの10番は代表で生き残れるか。

白瀬まゆ美=文

text by Mayumi Shirase

伊藤徹也=写真

photograph by Tetsuya Ito

 キリンチャレンジカップ・ペルー戦。巻誠一郎の得点により日本のリードで迎えた後半、ベンチ裏では14人のサブメンバーが一斉にアップを始めた。他のメンバーが急ピッチで体を動かしている中、藤本淳吾だけはどこか違う空気を漂わせていた。アップをしながらもピッチから視線を外そうとせず、頻繁にベンチ横のドリンクボックスに近寄っては水分補給を繰り返し、その場で足踏みをしながら試合に見入っていた。

 2点のリードを奪った日本は、60分、68分と相次いで選手交代。そして85分に、水野晃樹、家長昭博らと共にピッチに入った藤本は2列目から積極的に前線に飛び出し、ペナルティエリアの中に入っていく。水野、家長も加わったワンタッチプレーの積極的な動きが徐々に相手ディフェンスを翻弄する中、試合終了間際、日本は右サイドでフリーキックを得た。

 蹴るのは藤本だった。勝利をほぼ手中に収めたとはいえ、この試合最後と言っていいゴールチャンスで、代表デビューわずか数分の選手がプレースキッカーになったことにスタンドがざわついた。左足でゴールニアに蹴られたボールはクロスバーを掠めわずかに上にそれた。スタンドのどよめきには惜しいシーンに対するため息だけではなく、驚きも混じっていた。

 藤本淳吾は昨シーズン清水エスパルスに加入した。'05年に引退したミスターエスパルスこと澤登正朗の後継者として指名され、ルーキーながら澤登のトレードマークでもあった背番号10を受け継いだ。父貢壽が日本鋼管のサッカー選手だったこともあり、物心が付く頃にはサッカーをしていた。地元のマリノスプライマリーに入り、そのまま中学1年までマリノスの下部組織にいたが、中学2年に上がるときにメンバーに残ることができず、横浜栄FCを経て、桐光学園高に進学した。

 「下部組織に残れても、プロになれない選手がたくさんいるのに、僕はそれにすら残れなかったんです。小さい頃からプロにはなりたかったけど、無理だと諦めていました。高校2年のときにU-17日本代表の田嶋幸三監督が左利きの選手を探していて、初めて代表に入りました。ワールドユースに出場した頃からプロを意識するようになったけれど、高3で正式なオファーをもらったのはJ2のチームだけ。父さんから『プロに行っても長くプレーできないかもしれないぞ』って言われたことも響いて、最初から地元マリノス以外なら筑波大と決めていたこともあって進学しました」

 大学でその才能はさらに開花する。1、2年と大学サッカー選手権を2連覇、3年時には関東大学リーグで優勝しベストイレブン入り。4年時はユニバーシアード代表として背番号10を背負い、日本を3連覇に導き大会MVPにもなっている。この活躍に、高校時代には見向きもしなかった多くのJ1クラブが獲得候補選手リストに掲げ、争奪戦を繰り広げた。その中から藤本が選んだのは、特別指定選手にもなっていた清水エスパルスだった。

 各クラブからの熱烈なラブコールを受ける日々のなかで、清水エスパルスの練習に参加したときに、軽いプレーをした藤本淳吾を見るや、長谷川健太監督から「やる気がないなら帰れ」と厳しい言葉が飛んだ。お客さん扱いではなく1人の戦力として見てくれていることに喜びを感じ、ここで成長したいという気持ちがわいた。ただ1つのネックはエスパルスが降格危機にあったことだが、11月20日の柏戦で残留をほぼ手中にしたことで意思を興津大三スカウトに伝えた。

 11月23日、神戸戦で残留を確実にした日、澤登引退の一報が流れた。その引退会見が行われた翌日、自室にいた藤本淳吾の電話が鳴った。見知らぬ番号だったが、声の主は会見を終えたばかりの澤登だった。

 「来シーズンから淳吾が10番を背負うんだから、エスパルスに入ってくれよ」

 「もう決めましたよ!」

 「えっ?― そうなの?」

 「はい。行きます」

 「じゃあ、頼んだよ」

 「わかりました」

 練習に参加する時にはいつも気にかけてアドバイスをくれた澤登には、まだまだいろんな話を聞き、教えて欲しかったし、澤登がピッチからいなくなるという現実に寂しさも込み上げた。しかし、いざプロ生活をスタートさせると、藤本への質問の頭には常に「澤登選手」という言葉がつけられ、何かにつけて比較され、コメントを求められた。清水エスパルスを応援する人々にとって、澤登がつけた10番への期待と思い入れは、藤本の想像をはるかに超えていた。

 「僕に10番を用意しているということは、チーム関係者から聞かされていました。ルーキーがプロチームでいきなり10番をつけるのはすごいと思いましたし、評価をしてもらえたことは素直に嬉しかった。それにノボリさんの後継者として注目してもらえるなら、その間に結果を残しちゃえばいいかなって気持ちもありました。10番を背負う選手として結果は残したいけど、ノボリさんとはタイプも利き足も違うし、何より僕は清水出身じゃない。どんなに頑張っても代わりにはなれないんじゃないかって思うときはあります」

 デビューの'06年はオールスターのファン投票でもMF部門第3位に輝き、シーズン終盤に川崎フロンターレを相手にハットトリックを決め、Jリーグアウォーズで新人王、優秀選手にも選ばれた。とはいえ、今年2月の代表入りはどちらかというとオシム監督お得意のサプライズ招集の1人、と見る向きが多かった。そのまま残ればペルー戦の3月24日が自らの誕生日。そのことに何かを感じずにはいられなかったが、念願かなってメンバー入りはしたものの合宿に入ってからは紅白戦に入れてもらえないことも多く、チャンスが巡って来るとは到底思えなかった。試合当日の昼食時、会場の照明が突然消され、中央に進むよう促された。サプライズのバースデーケーキが登場し、ロウソクの炎を吹き消すと、スタッフからコメントを求められた。

 「今日は気持ちよく勝って帰りましょう」

 そう言いながらも、その勝利の一端を担うことはできないと思っていた。そんな心中に追い討ちをかけるように、オシム監督は試合前の練習で藤本ただ1人をミニゲームから外し、ストレッチをするよう命じた。後に佐藤寿人が急遽外され1人きりは免れたが、バースデーデビューへの期待はさらに小さくなった。だから、何かを得るために、日本を代表する選手たちのプレーを見逃さないことが試合の目的に変わっていた。

 「凄い人たちが目の前で試合をしているんだから見ておかなければと思いました」

 ほとんど観客と同じような気持ちだった。それまでの2度の選手交代でも、名前を呼ばれなかったことで完全にあきらめ、より一層アップのペースを落とした。80分にコーチングスタッフが3人の名前を呼んだが、自分ではないと思った。それでベンチに座ったまま脛あてやスパイクをなんとなくいじっていると、コーチの怒声を浴びた。

 「何をやってるんだ!― 早くしろ」

 その言葉でようやく出番が来たことを認識した藤本は水野、家長が準備を整えている中、慌ててユニフォーム姿になり、ピッチサイドにたどり着いた。桐光学園高の先輩、中村俊輔と入れ代わりでピッチに入った時にはほとんどアップをしていない状態だった。

 「でもあのときは見ていた分、やらなければいけないことがわかっていました。日本は前線に飛び出す動きが足りなかった。それが僕の特長でもあるから、1回でも2回でもいいからどんどん前に行こうと思っていました」

 FKを得た時、ロスタイムの3分はすでに終わり間際で、どう考えてもこれがラストチャンス。選手が徐々に散り、中村憲剛と2人きりになった時、藤本は勇気を出して中村憲剛に聞いた。

 「蹴っていいですか?」

 85分までは中村俊輔がいたために、60分にピッチに入った中村憲剛にとってもこれが初めてのフリーキックチャンス。しかもあの時間帯は右から左に風が吹いており、右足で巻いて蹴れば風に乗っていいキックになることもわかっていたが、どうしても蹴りたかった。

 「うーん。いいよ」

 少し悩んだ末に中村憲剛は譲ってくれた。

胸に響いた、偉大な先輩中村俊輔からのアドバイス。

 結局ゴールは外したが、ペルー戦前の合宿中にプレー面でアドバイスをもらい、海外移籍についての経験談も聞かせてくれた中村俊輔からは、試合後にも声をかけられた。

 「あのフリーキックは自分なら壁を越えずにゴール右前に低い弾道の、キーパー前でワンバウンドするようなボールを蹴る」

 「もしあの場面で壁を越えて蹴るとしたら、ファーの方がよかったですか?」

 「いやニアでいい。ただあの場合は、地面すれすれのボールを蹴って、キーパーに弾かせて、味方に詰めさせた方が確実にゴールを狙えるんじゃない?」

 偉大な先輩・中村俊輔のアドバイスは藤本の胸に響いた。試合直後は記者の前で「ふ~んって感じでした」とそっけない答えはしたが、ちょうど1週間後の大宮戦、後半開始7分。あの時よりやや後方でフリーキックのチャンスがめぐってきた。藤本の左足から放たれたのは、中村俊輔のアドバイスと同じゴール右隅に向かう低い弾道のボールだった。「あの位置でFKになった瞬間に、蹴ってみようと決めました。選択肢が1つ増えました。実践あるのみですよ」──そう言って、いたずらっ子のように笑った。

 「相手をおちょくるプレーが好きですね。大好きなサッカーなんだから楽しくなければやっている意味がないと思います。観ている人をワッと沸かせる意外なプレーをしつつ、どの監督からも認められる、安定したプレーヤーになることが理想ですが、具体的に誰のようになりたいのかって聞かれるのが一番困るし、わかりません。参考にするプレーはあっても、プレーヤーはいない。タイプという枠にとらわれたくないんです。だって現実に人はみんなそれぞれ違うんだから、その人と同じにはなれないでしょ?― 僕は僕だから」

 ペルー戦についてオシム監督は「若い3人のプレーヤーを投入してからスピードが上がり、エスプリの利いたプレーが随所に見られるようになった」と藤本淳吾らのプレーを評価したが、まだ確かな手ごたえはつかめていない。かつて澤登はその才能を高く評価され、大学卒業と同時に代表入りを果たしたが、何度招集されても代表に定着することはできなかった。

 「澤登さんが日本を代表する選手であったことは、誰もが認めているでしょう。メンバー構成や戦術に合う、合わないもあるから、いい選手でも呼んでもらえないこともある。でも僕は代表にいることの大きさを感じるし、ずっと呼ばれ続けていたいと思います。ペルー戦に出られたことは嬉しいけど、もう少し長くプレーしたかった。僕はメキシコのような丁寧につなぐサッカーが好きだから、オシム監督の求めるサッカーは合うと思います。でも、他の代表選手と僕はまるで小学生と高校生ぐらいの差があるように感じたので、このまま代表に残っていられるか心配です。そのためにミスを減らし、右足の精度を上げて、スタミナを付けたい。エスパルスが土台なら、代表は経験の場。土台がしっかりしていなければ上にはいけない。今はコツコツと課題に取り組んでJリーグでしっかりと結果を残していこうと思います」

 5月12日のアルビレックス新潟戦で今季初ゴールをあげ、全得点に絡む活躍。翌13日には再び代表候補合宿のメンバーにも選出された。経験という名の糧は藤本をどう変えていくのだろうか。

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