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何もかも桁外れだった“大巨人”の伝説。 

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photograph byTamon Matsuzono

posted2004/05/20 00:00

何もかも桁外れだった“大巨人”の伝説。<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

 巨体は人を惹きつける。例えば相撲は、勝負以前に力士の「大きい体」それ自体を見るものであったし、初期のプロ野球も、当時の平均からすればかなりの大男たち、「選ばれた人間」によってプレーされていることが迫力と魅力の源泉であった。著者が追い続けてきたプロレスも、もちろんその例に漏れることはない。

「簡単なことですよ。あの世界は大きいことが一番いいことだから。そして観客をいっぱい集められるということが最強だと思う。これは私の考えですよ(笑)。観客動員の記録を出したこと、彼はとっても自慢だったみたいね」

 9万3173人という、ローリング・ストーンズを凌ぐ米国興行史上最高の観客動員記録を残した不世出の巨人レスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントを著者が初めて見たのは1970年1月2日、初来日の翌日だった。その頃はまだ、後の強豪ぶりはそれほど感じられなかったようだ。

〈国際観光ホテルで初めての対面取材を行った。ホテルのロビーに現れたロシモフは頭ひとつ突出していて、想像していたよりもスマートで色白だった。人を見下ろしながらも、どこかオドオドした感じの物静かな好青年に映った。(略)互いにモジモジしたままでのシェイクハンドである。親指の太さといったら、まるでコカコーラの瓶だ〉

 当時のリングネームは「モンスター・ロシモフ」。まずは国際プロレスで頭角を現す。来日するごとに、体は大きくなり、七三分けだった頭もアフロヘアになった。そして新日本でアントニオ猪木と「異種格闘技戦」を行い、アメリカで世界の7不思議に引っかけ「8番目の不思議」と呼ばれ、全日本に安住の地を見いだす。その過程で存在感を増し、態度も相応に尊大になっていく。

「たいていの記者は、みんな行かないのよ。彼が『ノン!』ってでっかい手で払っちゃうから(笑)。でも、(著者を)見つけるとにたーって笑ってこう(手招き)するんだよ。まだ他の社が国際プロレスに取材に来なかった時代から取材していた安心感があったんだろうね。こいつなら大丈夫という」

〈大巨人にビールを奢ってもらったり、食事をご馳走になった担当記者は私くらいなものだろう。恥ずかしながら、これだけは胸を張れる〉

 そして、筆者の思いはもう1人の巨人、ジャイアント馬場へも向かう。

「彼と馬場が一緒にいた光景が、今のプロレスにはないものだったんですよ。忘れかけているのどかさ、最近スローライフというじゃない、そういう言葉を思い出すようなね。2人はほとんど会話なんかしてないんじゃないかな。大きい者同士、言わなくても分かってたんだろうと思うんだよ」

 ストロング小林、マイティ井上、赤坂允之(移動バス運転手)、キラー・カーン、百田光雄ら、近くでアンドレを見てきた人々の証言は、数々の「伝説」について触れており、ファンは必読であろう。普通の人より多いと言われた歯の数。サッポロビール園で大ジョッキ89杯飲んだという逸話。本名は「ジーン・フェレ」なのか「アンドレ・ロシモフ」なのか。

「5人とも褒めているでしょ? そうだろうと思うよ、みんな奢ってもらったから(笑)。チャンピオンだったファンクスのテリーとドリーまで後をくっついてね(笑)。そういう点でも彼は特別な人でしたよ。いろんな面でダイナミックな、『わが心のアンドレ』を書きたかったんですよね」

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