プロレス重箱の隅BACK NUMBER

リングに光る夫婦善哉。 

text by

丸井乙生

丸井乙生Itsuki Marui

PROFILE

photograph byTadahiko Shimazaki

posted2004/04/26 00:00

リングに光る夫婦善哉。<Number Web> photograph by Tadahiko Shimazaki

 プロレスのリングには様々な感情が存在する。「ブッ殺してやる」に代表される憎しみ、キツイ一発をもらった瞬間に鬼が降臨する天龍源一郎の怒り。一方で愛情も豊かだ。ノアのエース・秋山準から乾杯の度に頭からビールをかけられても、誕生日祝いのケーキを顔面にぶつけられても慕い続ける弟分・橋誠には師弟愛がある。その他にも兄弟愛、同志愛などがあるものの、ここにきて新形態の愛がプロレス界に持ち込まれた。佐々木健介&北斗晶夫妻の「夫婦愛」である。

 まさに夫唱婦随だ。北斗は健介の個人事務所「健介オフィス」を取り仕切る。記者会見には妻が長男・健之介くん(5歳)の手を引き、夫が次男・誠之介ちゃん(1歳)が乗るベビーカーを押して登場。会見はガッツのある2児が走り回る中で行なわれる。試合になると、北斗は「健介」と背中に染め抜いたジャージーに黒い口紅、黒い木刀姿でセコンドに就く。場外乱闘ではレフェリーにつかみかかり、相手の仲間を木刀で殴りつける。いつの間にか「鬼嫁」という冠を頂戴した。健介はアシストがなくても十分強いのだが、鬼嫁が相手に脅威を与えているのも確かだ。

 2人は’95年の新日本・北朝鮮興行で出会った。当時、健介は抜群の実力を誇る看板選手、一方の北斗は暗黒メークに凶悪ファイトで名高い悪役スター。なぜかあっという間に恋に落ち、トップ選手同士の結婚として話題を集めた。夫が大企業「新日本プロレス」に所属している間は安泰だった。埼玉県内に念願のマイホーム、通称「ベルサイユ宮殿」を建て、天井にシャンデリア、床には舶来ものの家具。お宅拝見番組にも出演した。しかし、北斗が引退した’02 年、健介は10月に新日本を退団して恩師・長州力が旗揚げした新団体「WJ」へ馳せ参じる。しかし、団体乱立時代の中経営はたちまち悪化し、フリーの道を選択。信じる者は家族しかいなくなった。

 残されたのは豪邸のローン。幼子2人を抱えた夫婦は腹を括った。昔は決め台詞を考え過ぎた挙句、敵に「正直、スマン」と謝ってファンを脱力させていた健介が、鬼嫁に抵抗する対戦相手に「あんまりウチのを怒らせないでくれよ。怖いんだから」とお願いするほど素をさらけ出した。初参戦した全日本プロレスの名物リーグ戦「チャンピオン・カーニバル」は準優勝だったが、健介の全6試合は最もファンの支持を得た。

 北斗も同大会で一夜限りの復帰を果たした。全日本初の男女対決でヘソ曲がり男のケンドー・カシンと対戦。“どこからでもかかって来い”とナメてマットに大の字になる相手に、自分もすぐさまゴロン。ピンチに陥っても、奥様ならではの爪で相手の背中を思い切り引っ掻いた。ヘソ曲がりの上を行く曲者ぶりに、観客は拍手喝采。私は万歳した。

 結婚当初は、プロレス論の相違でケンカをしたという。「よく性格の不一致というけれど、ウチはプロレスの不一致だった」と健介は振り返る。「今は、良いよ」という口ぶりに信頼関係の深さが窺える。

 北斗はアルトの声で笑う。「隠したってしょうがない。さらけ出して生きていくよ」。笑わば笑え。世界中を敵に回しても、アタシがアンタを守ってみせる。婦唱夫随、そして夫唱婦随。チャンピオン・カーニバル決勝で敗れ、花道を引き揚げる夫の背中から、妻は三歩下がって付いていった。

佐々木健介

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