史上初のJリーグ3連覇を達成した鹿島アントラーズ監督のオズワルド・オリヴェイラは1950年リオデジャネイロの貧しい家庭に生まれた。プロ選手のキャリアはない。アルバイトで生計を立てながら、大学を卒業しフィジカルコーチとなった。
'80年カタールの代表スタッフとなり、'81年ワールドユース選手権(現U-20W杯)で準優勝。その後カタールやUAEのクラブで約15年間を過ごした。この経験が、オリヴェイラ独自の人間観を生んだ。
「まったくの異文化の中で仕事をし、他者を尊重する父の教えの重要性を再認識した」と振り返る。
「私は哲学を持たない。持った瞬間にそれに縛られてしまうから」
'99年コリンチャンスで監督デビューし、3冠を獲得。ブラジルの名門クラブを渡り歩き、'07年鹿島の監督に就任。「私は哲学を持たない。持った瞬間にそれに縛られてしまうから」と語り、記者を驚かせた。
「僕たちの意見にも耳をかたむけてくれ、多くを任せてくれるから非常に仕事のしやすい上司です」と鹿島の日本人スタッフは口をそろえる。
「いつも自分が正しいとは限らないという気持ちで、多くの人の声を聞き、判断をくだすのが私の仕事。スタッフが力を発揮できなければ、選手も能力を発揮できない」
スタッフが情報を上げやすいよう、空気作りにも気を配ったという。
オリヴェイラ監督の武器は、分析力、説得力、空気を読む力。
「『(首位の)川崎フロンターレはきっとつまずくから、我々が連勝すれば優勝できる』という監督の言葉通りの結果となった」とDFの岩政大樹。
'07年に逆転優勝したときも同様の宣言をオリヴェイラはしている。
「ただ闇雲に、頑張れば勝てると言っても選手は信じない」とライバルチームの状況、鹿島の状況を分析し、優勝の可能性を語ってみせたのだ。
「大切なのは選手を説得し、納得させること」という監督は、毎節の試合前にミーティングを行ない、攻略の策を伝える。その話術とトレーニングメニューには、「試合へ向けてのアプローチが、戦術、メンタルともにとても巧みだ」と、JOMOカップでともに戦った遠藤保仁や中村憲剛なども評価していた。
チーム作りの面でも「早い攻守の切り替え」など、戦術の徹底を促し、成功している。
「計画を立て、それを実行する力」が自身の武器だと分析するオリヴェイラは、監督にとって重要なのは空気を読む力だと話す。
「僕たち自身もまだ気がついていないような気の緩みを忠告されることがある。それがまさに絶妙のタイミングなんです」とMFの青木剛。
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(更新日:2009年12月29日)































