Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER

<さすらいのセーブ王> 高津臣吾 「野球の果てまで連れてって」 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2011/04/01 06:00

<さすらいのセーブ王> 高津臣吾 「野球の果てまで連れてって」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama
リリーフとして最上の実績を持つ彼は、40歳を過ぎてなお韓国、
台湾でプレーし、“現役”として、また日本に戻ってきた。
その姿を追い、衰えぬ野球欲の源泉を探る。

 食事を終えて店の外に出ると、もう日付けが変わりそうな時間だった。あいさつをしようと高津臣吾を探す。高津は自転車に乗っていた。主婦が乗るような買い物用の自転車。

「慣れると結構いいもんだよ」

 近いところには自転車を使うらしい。

「ヘーイ」

 曲乗りめいた乗り方を見せて、周りを笑わせる。9月末の台中。亜熱帯の夜はじっとりと汗がにじんでくる。しかし、自転車でクルクル回りながら、ひとり上機嫌で帰っていった日本最多セーブ記録の持ち主を見送ると、なんだか気持ちのいい風が吹いてきたような気がした。

 高津が台湾で投げていることは2010年の春の時点で知っていた。しかし、興味を持ったのは、前後期制で行なわれる台湾リーグの前期優勝を決める試合で、高津がセーブをあげたという記事を見てからだ。スワローズ時代、高津は「胴上げ男」として有名だった。スワローズ在籍中の4度の日本シリーズ制覇で、すべて最後のマウンドに立っていた。ミスター胴上げは台湾に行っても変わらないのか。

 高津は日本でリリーフ投手として考えられる最上の成功を手に入れた。日本一4回に通算286のセーブ日本記録。大魔神佐々木主浩、鉄腕岩瀬仁紀など歴代の名クローザーでも成し遂げていない記録を打ち立てた。それだけではない。メジャーリーグでも2シーズンプレーして、ホワイトソックスの1年目は19セーブをあげる活躍を見せた。あのむさくるしいオジー・ギーエン監督のひときわ熱い抱擁を19回も受けたのだ。

こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。

残り: 6008文字

NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく
NumberWeb内のすべての有料記事をお読みいただけます。

高津臣吾

プロ野球の前後の記事

ページトップ