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<ルーキー秘話> ベテランたちの原風景。~山本昌の場合:1984年中日~ 

text by

芦部聡

芦部聡Satoshi Ashibe

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photograph byNaoya Sanuki

posted2011/03/16 06:00

<ルーキー秘話> ベテランたちの原風景。~山本昌の場合:1984年中日~<Number Web> photograph by Naoya Sanuki
長年、現役で活躍し続けるベテラン選手にも初々しい新人時代があった。
あまりのレベルの違いに愕然としながらも、崖っぷちから這い上がってきた
若き日の山本昌。今やチームの顔となった最高齢選手“マサ”が鮮やかに
思い出す、プロ野球界の門を叩いた若き日の心象風景――。

「とんでもないところに来てしまった」

 '84年1月8日、ナゴヤ球場ではじまった新人合同練習に参加した18歳の山本昌広は、高校とは別次元の激しい練習を平然と課すプロの凄さに圧倒されていた。45歳を迎えた今シーズンもユニフォームを着続ける現役最高齢選手も、中日に入団した時点では、明らかに“持たざる新人”だった。

 日大藤沢高時代は平凡な投手だった。目立った活躍はなく、甲子園にも出場していない。3年の秋に神奈川選抜vs.韓国代表の一戦で先発して、7回を無失点に抑える好投を見せ、一気にスカウトの注目を集める。それでも本人の頭にプロという選択肢はなかった。大学に進学し、中学か高校の社会科の教師になって、野球部の監督に。そんな堅実な将来像を描いていた。だが、ドラフト当日――。

「たしか6時限目の途中だったかな。教頭先生が教室にいたぼくを呼び出して、『中日に5位で指名されたよ』と教えてくれたんです。中日のスカウトの方には一度もお会いしてなかったし、ただひたすら驚きましたね」

 この年の中日が1位に指名したのは享栄高のスラッガー、藤王康晴。同郷で、'83年の甲子園の春・夏準優勝投手となった横浜商高の三浦将明も3位で指名された。

小松辰雄、鈴木孝政、牛島和彦、郭源治らの投球に愕然。

「指名されたことは光栄だし、プロから認められて嬉しかったけど、大学に行くつもりだったからどう断ろうかと悩みました。それなのに中日ファンのオヤジは『プロになれよ』と無責任に背中を押す(笑)。入団すればオヤジは喜ぶし、スカウトの方のメンツも立つ。八方丸く収まるならと、決断したんです」

 自分の未来よりも周囲の期待を優先した、大人びた判断である。ところが入団後の山本を待っていたのは、驚異の別世界だった。

「1月の新人合同練習で真っ青になっていたんですが、2月からのキャンプは想像を超えていました。小松辰雄さん、鈴木孝政さん、牛島和彦さん、郭源治さんといった錚々たるピッチャーの球を目の当たりにして、度肝を抜かれた。入団会見では『3、4年鍛えてから一軍で活躍したい』と言ったけど、一生かかってもたどり着けないと愕然としました」

 キャンプではプロの現実に打ちひしがれるばかりだったが、名古屋に戻った山本に教育リーグでの実戦登板が巡ってくる。阪神を6回まで0点に抑えると、ファーム公式戦の開幕2試合目で先発を任されることになった。

【次ページ】 転機となったプロ入り5年目のアメリカ留学。

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