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30歳になった斎藤佑樹。あの頃と
変わらない人間としての「強さ」。

posted2018/06/08 11:00

 
30歳になった斎藤佑樹。あの頃と変わらない人間としての「強さ」。<Number Web> photograph by Kyodo News

昨シーズンは6試合で1勝3敗、防御率6.75。8年目を迎え30歳となった今シーズン、斎藤佑樹はここまで一軍で1試合に登板したのみだ。

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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Kyodo News

 夏の足音が大きくなると、北海道日本ハムファイターズの広報部には多くの「便り」が届く。リクエストは1人に集中する。その数は、二アリーイコールで彼を求める世間の思いだと認識している。

 この時季、夏の甲子園に関連した取材依頼がメディアから本格化するのである。必ず、上位に食い込んでくる名前がある。

 斎藤佑樹投手――。

 誕生日だった6月6日、30歳になった。

 ヤンキース田中将大投手がエースを張り、3連覇を目指した駒大苫小牧と2006年夏の甲子園決勝を戦った。延長15回引き分け再試合を経て、壮絶な死闘を制したのが斎藤投手だった。

 野球のファンの方々の記憶に、まだ新しいあの夏。あれから12年もの歳月を経た。夏の甲子園が100回大会を迎える今年。その歴史を鮮烈に彩ったヒーローは、入団8年目を迎えたのである。

斎藤佑樹、今季はまだ一軍登板1試合。

 三十路の記念日をファームで迎えたように、今シーズンは一軍登板1試合にとどまっている。そのマウンドは4月7日の千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)だった。先発して4回2死まで無安打も、8四死球と乱れて降板した。序盤から大量援護をもらったが、勝利投手の権利を得ることができなかったのである。

 前職のスポーツ紙、ファイターズの担当記者時代から接している。入団から、そのまま8年目の関わりになる。取材として経年で追いかけてきた。当時は迷惑を掛けたが、今も思い入れがある。

 広報としては舞台裏を明かすのは、ルール違反かもしれない。ただ斎藤投手が醸し出した初めてのムードに触れ、新鮮だったため記す。その今シーズン唯一となっている一戦での降板後の報道リリース用のコメントを、取得に行く時だった。いつものように丁寧だった。そして、いい意味で、ぶっきらぼうで荒々しかった。

【次ページ】 投げやりではなく、怒気をはらんだ声。

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