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星野仙一のスーツを作り続けた男。
昨年冬に「タキシードの肩が……」。

posted2018/02/04 08:00

 
星野仙一のスーツを作り続けた男。昨年冬に「タキシードの肩が……」。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

星野仙一の「落ち着いていながら華がある佇まい」は、斎藤清治の作ったスーツが支えていたのだ。

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神津伸子

神津伸子Nobuko Kozu

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Sports Graphic Number

 星野仙一は30年間、年に40着のスーツを新調していた。

 単純計算で1200着。プラスアルファもあった。

 星野にスーツを提供し続けて来た男の名は、斎藤清治。名古屋に本社を置くメンズアパレルの会社、ラグラックス信和の会長だ。

「星野さんと言えば、彼が良く歌ったあの曲を思い出す。そして目頭が必ず熱くなる」

 そう言って、いきなり斎藤は歌を口ずさみ始めた――。

 星野が現役を退いた1982年。斎藤の会社は大きな転換期を迎えていた。服地素材メーカーから業務形態を一新するために、イメージキャラクターを必要としていた。そして、名古屋を象徴する熱い男に白羽の矢が立てられた。地元中日のスーパースターであり、何より斎藤が星野の大ファンだったのだ。

ジャケットにネクタイは「そんなもん、持っとらんわ」。

 オファーはあっさり断られたが、斎藤は辛抱強く粘り続けた。すると、転機は向こうから転がり込んで来た。

 1983年シーズンから、星野はNHKで野球解説者としてのキャリアをスタートすることになった。そして中継の際は必ずジャケットにネクタイという、NHKらしい注文がついた。

 星野は弱り果てた。

「そんなもん、持っとらんわ」

 当時、プロ野球選手の服装と言えば、太い金ネックレスを筆頭にダサいファッションの代名詞だった。

 星野の苦悩を聞きつけた斎藤は、スーツ年間40着の無償提供を提案し、CMやポスター、雑誌媒体広告のキャラクターとして契約した。この時から、毎年膨大な数のスーツが星野のためにあつらえられる事になった。

【次ページ】 独特の体格に、すこしゆったりしたタイプ。

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