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大仁田厚、43年間のプロレスラー終焉。
引退後もリングでレフェリー・デビュー。
posted2017/11/02 17:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
還暦の大仁田厚が10月31日、後楽園ホールで「7年ぶり7度目の引退」という理不尽とも思える引退式と引退試合を行い引退した。
「大仁田厚思い出の聖地・後楽園ホール最期のデスマッチ!! ストリートファイト トルネード バンクハウス デスマッチ」で、鷹木信悟とKAIと組んだ大仁田は、藤田和之、NOSAWA論外、ケンドー・カシン組と対戦した。
大仁田は机やイスで渾身の殴り合いを見せて、毒霧も噴射、最後はサンダーファイヤー・パワーボム7発でNOSAWA論外をフォールした。
大仁田を慕ってFMW時代からともに戦ってきた田中将斗はこの引退を「大仁田さんは自由人だから」と冷静に受け止めていた。
FMWでの大仁田の最初の相手でもあり、この2日前に最後の電流爆破マッチを戦った青柳政司“館長”も杖を突きながらそのセレモニーのリングに上がった。
ダンプ松本は「今度戻ってきたら……(戦いましょう)」とリングからラブコールを送っている。
メインの6人タッグでは、藤田が続編を予感させるように、試合終了後も大仁田を踏みつけていた。
他の選手たちの色々な思惑と考えが、大仁田の引退後の行動に影響するだろう。実際、もう大仁田引きずり出し作戦は始まっているかのようだった。
引退記念の1枚に選んだ写真は「無念の姿」。
大仁田は1974年4月、全日本プロレス時代に後楽園ホールでの佐藤昭雄戦でデビューした。
最初の引退は1983年4月、東京体育館で行われたNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級選手権でヘクター・ゲレロに勝利した直後、リングから飛び降りて左ヒザの皿の部分を粉砕骨折したことが理由だった。
その約2年後の1985年1月。後楽園ホールで行われた引退セレモニー用に、スポーツ紙などの写真記者と一緒に作った記念アルバムの中の1枚として、私は歩けずに運ばれていく大仁田の姿を入れた。
普通こういうアルバムには、ベルト姿だったり、きれいに技を決めている作品を選ぶものだが、私はあえて、痛々しい大仁田の「無念の姿」を選んだ。