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日本人として、空前絶後の金字塔。
佐藤琢磨、インディ500制覇までの道。

posted2017/06/09 08:00

 
日本人として、空前絶後の金字塔。佐藤琢磨、インディ500制覇までの道。<Number Web> photograph by Hiroaki Matsumoto

インディ500名物、ミルクでの祝福シーン。その昔、レースのスポンサーのひとつが乳業メーカーだったことに由来する。

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松本浩明

松本浩明Hiroaki Matsumoto

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Hiroaki Matsumoto

 5月28日、アメリカのインディアナポリスで行われたインディ500で、佐藤琢磨が200周のレースを制し、日本人ドライバーとして初の偉業を達成した。

 モータースポーツの世界において三大レースと言われるF1モナコGP、インディ500、そしてル・マン24時間レースは、その過酷さゆえに最大の栄誉を称えられるレースだ。

 中でも1911年に始まり今年で101回大会を迎えるインディ500は、最も歴史が長く伝統のあるレース。全米のTVでオンエアされるのはもちろん、決勝当日は30万人とも35万人とも言われる大観衆がスタンドを埋め尽くすのだ。NFLのスーパーボウル、MLBのワールドシリーズに匹敵するスーパーイベントだ。

2012年、琢磨は優勝にあと一歩まで迫っていた。

 佐藤琢磨は、日本では元F1ドライバーとして知られているだろう。

 F1には2002年にデビューし、'04年のアメリカGPでは日本人最高位タイの3位に入賞している。また同年にはヨーロッパGPで予選2位という日本人予選最高位を獲得しており、その速さには定評があった。

 '08年にはスーパーアグリF1の撤退に伴いシートを喪失。F1浪人となるのだが、心機一転、'10年にアメリカのインディカーシリーズ挑戦となった。

 琢磨は新シリーズへの挑戦に苦戦したが、もはやレーシングドライバーとしてはベテランの域に達しつつあった彼は、レースを重ねるごとに驚くべきスピードを発揮するようになった。

 翌'11年にはアイオワで日本人として初のポールポジションを獲得。'12年にはブラジルで自身初の3位表彰台をゲットするのだった。

 そして“Takuma Sato”の名前を全米、いや全世界に知らしめたのは、'12年のインディ500でのできごとだった。

【次ページ】 “No Attack, No Chance”という琢磨の信条。

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