プロ野球亭日乗BACK NUMBER
さよなら“高知のマニー・ラミレス”!
野球が大好きな男の奇跡の2カ月。
posted2017/06/02 10:50
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kyodo News
ニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井秀喜さんの取材で、日米を行ったり来たりしていた2003年のことだった。ボストン・レッドソックスとの試合でフェンウェイパークを訪れ、試合後の一塁側ロッカーを覗いたとき、目の前にマニー・ラミレスがいた。
すでにチームは次の遠征地に向かって移動の準備でワサワサしている最中だ。マニーもあのドレッドヘアにスーツ姿で軽食をほうばりながら、取り巻きと談笑していた。そうして食事が終わると、おもむろに取り巻きの1人がラミレスの後ろに回り、背後から手を回してネクタイを締めだした。
「マニーはネクタイが締められないんだよ」
世界的なスター選手が子供のようにネクタイを締めてもらう姿にちょっと驚いた表情をすると、隣にいたボストンのビートライターがウインクしてこう教えてくれた。
「だからいつもああやって友達に締めてもらう。彼は自分が好きなこと以外には興味がないし、やろうともしないからね。ネクタイの締め方なんて覚える必要もないし、覚える気もないんだ!」
愛するマニーの最後の勇姿を見に行った!!
そんな私生活でも「Manny being Manny(マニーはマニー)」という姿を見て以来、ずっと大ファンになってしまった。日米野球で来日した2004年には、ついに単独インタビューの機会にも恵まれた。ボストンでは大のマスコミ嫌いで通っていたが、すこぶる上機嫌で質問に答えてくれ、写真撮影が終わると、最後に「みんなで記念撮影をしよう!」と自分から肩を組んでくれた。
そんな愛するマニーの最後の勇姿を見逃すことはできないと、高知に飛んだのは5月28日のことだった。
四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドックスの前期最終戦は、高知市営球場での徳島インディゴソックス戦だった。