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2度の戦力外を乗り越えた久保裕也。
松坂世代、後藤武敏との友情は続く。
posted2017/05/11 07:00
text by
瀬尾泰信(Number編集部)Yasunobu Seo
photograph by
Yasunobu Seo
久保裕也。
今であれば、サッカー日本代表のライジングスターの眼光鋭き無骨な姿を思い起こす人が多いだろう。ベルギーのヘントで得点を量産し、前所属先のヤングボーイズ(スイス)でのゴール数と合わせて欧州リーグ年間20ゴールの日本人最多記録を打ち立て、なおも更新中。伸び盛りの23歳は、間違いなくハリルジャパンにとって、ワールドカップ最終予選突破の鍵を握る存在となった。
しかし、つい5、6年ほど前まで、久保裕也といえばこの男だった。
桑田真澄のごとき流麗な投球フォームから繰り出される、抑えの効いた切れのある速球と多彩な変化球。木佐貫洋とともに2002年ドラフトの自由獲得枠で巨人に入団すると、先発、中継ぎ、抑えと原巨人のブルペンを大車輪で支えた、松坂世代の知性派投手だ。
その久保は今、仙台にいた。
プロ15年目のシーズンを初めてパ・リーグで迎えた。
泉区にある、東北楽天ゴールデンイーグルス二軍練習場。
今年2月、キャンプ中に実施された入団テストに合格し、プロ15年目のシーズンを、初めてのパ・リーグで迎えることとなったのだ。
取材前、挨拶を交わすと、手には、見慣れないスパイクを持っていた。
白いアッパーに、サイドに赤で「B」の文字。イチローが2015年シーズンから使用して打席での安定が増し、ランニングスピードが上がったという「ビモロ」製のスパイクシューズだ。訊くと、今季から履いているという。
「ただ、これを履いてどう変わってくるか、正直まだわからないです。人によって合う合わないもありますし。どうやら足の親指の拇指球をあまり意識しすぎないほうがこのスパイクはいいらしくて……」
ひとしきり続く久保裕也のスパイク談義を聞きながら、先日取材したある選手の言葉が思い浮かんだ。