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権田修一がSVホルンで放つ存在感。
「結局、僕はこういう性格なんです」
posted2016/09/09 16:30
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph by
AFLO
「ようやく、サッカー選手としてピッチに戻ってきましたよ」
そう自虐的に語った権田修一の声は、明るさに満ちていた。
今冬、FC東京から期限付きでSVホルンに移籍した。本田圭佑が実質オーナーを務めるオーストリア3部(現在2部に昇格)のクラブで、元日本代表GKがプレーする。そのニュースは少々驚きを持ってサッカーファンに受け入れられた。
昨季途中に、オーバートレーニング症候群による戦線離脱を経験。心機一転、新天地で勝負する思いを胸に渡欧した。想像とは異なる形だったが、自身の念願だった欧州挑戦の機会を手にした権田。意気揚々と、実戦の場に身を投じた。
しかし3月、権田にさらなる悲運が重なった。
ホルンデビュー2試合目の途中に、接触プレーで右足を強打。診断の結果、脛骨骨折で長期の離脱を余儀なくされたのだ。
結局、チームは2部昇格を果たしたが、権田はシーズン終了までゴールマウスに立つことはなかった。
「だって、去年のほうがきつかったから」
度重なる離脱劇。当初は、さすがに声を掛けづらい雰囲気も漂っていた。そんな空気を、権田自身があっけらかんと払拭した。
「悲壮感ですか? それが感じなかったんですよ。だって、去年のほうがきつかったから。あの経験をしているから、こんなケガぐらいという感じだったんです。要は、去年は体は元気だけど気持ちがおかしかった。今回は体がおかしくなったけど、意欲は満タン状態。だから、まずは冷静にどうするべきかとすぐに考えられました」
長期の離脱となれば一度帰国して手術、リハビリをすることが得策とも思われたが、権田はオーストリアで全てを行う決断をした。そこには、こんな覚悟が隠されていた。
「去年のつらい経験がなくて海外に来て、今回いきなりケガをしていたら結構凹んでいたかもしれない。ただ今回は、自分の中でヨーロッパできっちり勝負するという決意を持って飛び出してきた。ホルンのスタッフも『帰国しても良いよ』と言ってくれたけど、僕は『残ります』と即答した。
ホルンも2部昇格の機運が高まっていた時期だったので、極力僕もクラブから離れずに、気持ちだけでも一緒に戦いたかった。プレーができなくても、毎日クラブハウスに来て、みんなと話して、何かを伝えて。圭佑くんが僕を獲った理由には、そういうところも含まれていると思う。圭佑くんは僕に『普段通りにやってくれればいいよ』と言ってくれた。僕にとっての普通は、そういう行動。ホルンでリハビリして、みんなと一緒に戦う。シーズンが終わるまで、そのスタンスでやり切ろうと思いました」