オリンピックへの道BACK NUMBER
柔道・中村美里が進んだ“回り道”。
ロンドン初戦敗退後の苦難を風格に。
posted2016/07/10 08:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
うまくいかない時期があったから、今がある。
柔道52kg級のリオデジャネイロ五輪代表、中村美里は、年を経て、以前にも増して落ち着きと安定感を漂わせる柔道家となった。
今大会の柔道日本代表選手中、男女を通じて最多の3回目のオリンピック出場となる。キャリアは十分、積み重ねてきた。それ以上に中村に風格をもたらしたのは、試練とも言える苦しい時期である。
中村は、若くして将来を嘱望される存在だった。
中学2年生で全国中学校大会を制するなどして注目を集めると、高校1年のときには講道館杯の48kg級に初出場ながら優勝する。福岡国際では世界選手権女王のヤネト・ベルモイら実力者を次々に撃破し、谷亮子に次いで2番目に若い16歳で優勝を果たし、脚光を浴びた。
19歳での五輪メダル獲得も「金以外は同じです」。
その後、減量に苦しんだことで、やや成績は伸び悩んだが、階級を48kg級から52kg級に変更すると勢いを取り戻す。そして2008年、19歳で五輪代表をつかんだ。
そして北京五輪は、中村の存在を広く知らしめる大会となった。準決勝でアン・グムエ(北朝鮮)に敗れたものの3位決定戦に勝利し銅メダルを獲得。柔道関係者も含め、周囲は健闘と捉えた。だが、中村本人は違った。
「金メダル以外は同じです」
憮然とした表情にうかがえた世界一への執念に、現場にいる人も、テレビ越しで観る人も強い印象を受けたのだ。
その悔しさをばねに、中村は一段と成長する。2009、2011年の世界選手権で優勝するなど、まぎれもなく、世界屈指の柔道家となっていった。