オリンピックへの道BACK NUMBER
どこまでもどこまでも走りたい――。
野口みずき、14年間のマラソン人生。
posted2016/04/23 10:40
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Yohei Osada/AFLO SPORT
筋を通した、一貫した競技人生だった。第一線を退くことを知ったとき、よぎったのは、そんな思いだった。
4月15日、女子マラソンの野口みずきが引退を発表した。
2002年に名古屋国際女子マラソンで初マラソンを走って以来、引退まで計10度出場。その中には、2004年のアテネ五輪での金メダルや、今なお日本記録である2時間19分12秒を出した2005年のベルリンマラソンなど、数々の心に残るレースが含まれている。
2008年の北京五輪の代表にも選ばれていたが、直前に、左足腿の肉離れを起こし欠場をよぎなくされた。その怪我の影響は長引き、復帰を志しては何度も故障に苦しめられた。
それでも、37歳の今年まで競技生活を続けてきた。その足取りを振り返るとき、思い起こすのは、アテネ五輪で金メダルを獲ってからしばらくしたあと、神戸でインタビューしたときの言葉だ。
代表でも、五輪でも、メダルでもない。
陸上を始めてからその当時までの経緯をたどりつつ、もともと、選手としてどのように将来の目標を考えてきたのかを聞いているときだ。
野口は言った。
「とことん、走りたいというのがいちばんでしたね」
一瞬、意表を突かれた気がした。
世界大会に出場したい、オリンピックに出られるような選手になりたい、メダルを獲りたい……そのような目標を抱いていて、そう答える選手は多い。
だから、逆に印象的だった。
次の言葉もまた、心に残るひとことだった。
「私はほんとうに走ることが好きで、好きなのでやってきたんですね」
のちのちまで残ったのは、言葉がただの言葉ではなく、それを体現していたからだ。
2007年11月の東京国際女子マラソン以来、4年2カ月ぶりに出場を予定していた2012年1月の大阪国際女子マラソンの前には、「早く走りたい」と、大会の日が来るのを心待ちにしているような表情で語った。それは日々の練習で、走れるようになった喜びをも示していた。