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北島康介の落選と、千葉すずの遺産。
基準を明快に運用した水連に拍手を。
posted2016/04/18 10:30
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
AFLO
北島康介が日本選手権の100m平泳ぎで2位に入ったものの、オリンピックには派遣されないことが分かると、日本水泳連盟に抗議の電話が入ったという。
「どうして、北島を行かせないんだ」
と。
メディアの中にも、こうした意見を持つ人がいて、ちょっとだけ驚いた。
競泳の場合、日本選手権(オリンピックの派遣選考会も兼ねる)で2位に入り、なおかつ日本水泳連盟が定める派遣標準記録を突破しなければならない。
北島はこの記録を突破できなかったわけで、これには一切の例外は認められない。北島が清々しい引退会見を開いたのも、基準が明快だったからではないか。
そしてそもそも、この派遣標準記録が設定されたのは、2000年のシドニー・オリンピックの時に、千葉すずが日本選手権で優勝しながら、オリンピック代表に選ばれなかったことが要因となっているのを記憶している人がどれだけいるだろうか。
スポーツ仲裁裁判所の判断は、痛みわけ。
代表から漏れた後、千葉すずはその決定を黙って受け入れたわけではなかった。 スイスに本部を置くCAS(スポーツ仲裁裁判所)に、日本水泳連盟を相手方にして仲裁を申し立てた。
最終的に千葉すずは代表には選ばれなかったものの(この点では日本水泳連盟の判断は支持された)、CASは「日本水泳連盟が選考基準を適切に告知していれば、提訴は避けられた」という判断を下し、日本水泳連盟に対して千葉すずの仲裁費用の一部の支払いを求めた。
当時は「日本選手権で2位以内=オリンピック内定」というのが競泳界の常識だった。それが千葉すず問題によって、統括団体の選考が意味を持つようになった(実は男子でもうひとり、2位以内に入りながら選ばれなかった選手がいた。彼は選考を正当化するため、道連れにされたと私は今でも思っている)。