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サンウルブズ初代主将、
堀江翔太の“怪童”伝説。
posted2016/02/25 12:20
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Tadashi Shirasawa
「世界のどのチームに行ってもフッカーのレギュラーを張れる」
堀江翔太を評する、最近よく聞かれる言葉だ。
スクラム、ラインアウトのセットピースを先頭に立って牽引し、ボールを処理するフィールドプレーも巧み。それでいて骨身を削る運動量も豊富で、グラウンド外では大らかな“親分気質”でチームを纏める。
昨年のW杯イングランド大会では、エディー・ジャパンの副将として躍進の中心にいた。当然、海外のトップクラブからもお呼びはかかったが、いま世界最高峰のプロリーグ「スーパーラグビー」に参戦を果たした日本チーム「サンウルブズ」の初代主将として、2月27日の歴史的“開幕戦”に備える。
日本ラグビーを背負って立つ男、堀江翔太はどのような少年時代を過ごしたのだろうか。
「堀江に渡せばトライになる」状態だった小学生時代。
ラグビーは小学5年生で始めた。
地元・大阪の吹田ラグビースクールに入団早々、本人いわく「まったくルールを知らずに試合に出て」、いきなり相手を蹴散らした。体格は翌年、小学6年生にして「175cm、77kg」に達するビッグサイズだった。
当時のスクールのチームメイトが語る。
「『堀江に渡せばトライになる』という感じでした。ペナルティをもらったら、とりあえずボールを堀江に渡す。するとタックルする相手が死ぬんじゃないかと思うくらい、ぶちかましてました。しかも堀江はカラダが大きい上にめちゃくちゃ走れるから、手がつけられないんです」
幼稚園から小学4年生までは近所のYMCAのクラブでサッカーに明け暮れていた。Jリーグがスタートしたのが小学2年生の時。「大人になったらヴェルディ川崎に入る」のが夢だった。「周りにカッコつけが多くてノリが合わない」という理由でクラブをやめるまでは、FW、GKとしてそれなりに活躍していた。走力のベースは、そのサッカー時代に培われていた。
進学した南千里中学校にはラグビー部がなく、スクールのない平日にもカラダを動かすために、バスケットボール部を選択した。全国のベスト4に府の中学が2校進出するほどのレベルを誇る大阪にあって、府大会ベスト8が狙える「けっこう強い」中学だった。