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闘莉王が日本復帰を約束した理由。
岡田武史、岡野雅行、日本との絆。
posted2016/02/17 10:40
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
1月に名古屋グランパスを退団した元日本代表DF田中マルクス闘莉王が、18年間の日本生活、15年間のJリーガー生活にひと区切りをつけ、2月14日、中部国際空港から故郷のブラジルに旅立った。
ブラジルに向かう前日、名古屋市内で取材に応じた闘莉王は、「悲しい別れにするつもりはない」と話していた。その言葉通り、空港では親しい関係者や熱心なサポ―ターの惜別の念を受け止めながらも、しんみりムードを振り払って出国した。颯爽と去っていく後ろ姿に込められた、闘莉王のある“決意”とは――。
闘莉王にとって6年間所属した名古屋を退団することは、苦渋の決断だった。昨季で契約が切れた名古屋からは、年俸こそ大幅なダウン提示だったものの、延長のオファー自体はあった。けれども交渉の席に着くと、新体制のビジョンの中で自分は必要とされていないということを察知した。悩み抜いた末に、退団を申し入れた。
「人生で一番難しい決断だった。金額の問題ではない。新体制の方向性を聞いて自分は必要とされていないと感じ、これでは思い切りサッカーをできないと思った。仲間を置いて去るのは非常に辛い。でも、半端な気持ちでは仲間にもサッカーに対しても失礼。だから退団を決めた」
国内のオファーはJ3の鳥取のみだった。
一部で報道された引退については「まったく考えなかった」と力を込めた。
「名古屋でのここ2年間は、西野朗監督の下でフル活動したし、ケガも少なかった。まだまだ違いを見せられるという自信はある」
現役続行についての迷いがなかったことで、名古屋に退団の意思を告げた後はJクラブで移籍先を探した。けれども、1月といえばすでにどのチームも構想が固まっている時期。獲得を検討してくれたクラブはあったが、正式オファーはJ3ガイナーレ鳥取からのみだった。
一方で、12月から1月にかけての故郷滞在中に、ブラジル全国選手権1部のクラブからオファーが届いた。こうして闘莉王が日本かブラジルかで迷った末に出した結論は、「今年はブラジルのクラブでプレーしよう」ということだった。