ブックソムリエ ~必読!オールタイムベスト~BACK NUMBER

文豪最後のルポルタージュ、人間と牛との“死の舞踏”
~ヘミングウェイ著『危険な夏』~ 

text by

馬立勝

馬立勝Masaru Madate

PROFILE

photograph bySports Graphic Number

posted2015/07/29 10:30

『危険な夏』アーネスト・ヘミングウェイ著 諸岡敏行訳 草思社

『危険な夏』アーネスト・ヘミングウェイ著 諸岡敏行訳 草思社

 へミングウェイが生前発表した最後の作品だ。処女長編『日はまた昇る』を生み、内戦に参加し、多くの作品の舞台にしたスペインは、作者には第二の祖国だった。国技・闘牛にも魅せられていた。本書は作者最晩年の闘牛観戦ルポルタージュ、1960年「ライフ」誌に連載された。

 ヘミングウェイには旧知の二人のスター闘牛士がいた。一人はトップの地位を自認するルイス・ミゲル。もう一人がミゲルの妹の夫アントニオ・オルドネスで、以前から自分の方が義兄より偉大な闘牛士だと確信していた。その二人の対決のひと夏を作者はスペイン中を旅して追っていく。あらゆるスポーツのライバル間の競争は、人気評価のギャラの問題をも含めて、誇りをかけた技量の戦いだ。猛牛を介した二人の争いは、しだいに危険な技のエスカレーションになっていく。鋭い観察眼と繊細な心を力強いドライな文体に沈めて綴る(これでマッチョ作家と誤解される)ヘミングウェイ・スタイルの闘牛描写に酔わされる。

闘牛士と猛牛の“死の舞踏”はスポーツ記事の手本。

 闘牛士はムレータ(赤い布)で牛を操り、その角を自分の体ぎりぎりに接近させる。人間と牛とが一体になった“死の舞踏”。スペイン語の闘牛用語が挟まるが、人と牛の動きの具体的な描写で場面が眼前に浮かび、馴染みのない用語も気にならない。そして牛の肩甲骨の間に剣を刺しこんで倒す瞬間。「牛は彼の右手の下で死んでいた。牛はまだ自分が死んだことに気づかず」しばらく闘牛士を眺めていたが、「牛はようやく自分の死に気がつき、がっくり脚を折って倒れた」。闘牛に馴染みのないアメリカで“スポーツ記事の手本”とされたのは作者の名声からだけではあるまい。死と直面することは誰にでもできるが、毎日死と向かい合い、ひと振りの剣で体重半トンもの動物に死を分配するのは、たんに死に直面する以上に厄介なことだ、と作者は書く。だから闘牛士が好きなのだ。

「ライフ」誌には12万語の原稿が送られ、ヘミングウェイは編集者と共にそれを8万語に縮め掲載した。すぐ本にするはずが翌'61年の作者の自殺で遅れ、出版は'85年になった。文豪のエッセンスだ。

関連コラム

ページトップ