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最小限の言葉で記された孤高の登山家の心の内。
~山野井泰史『アルピニズムと死』~ 

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馬立勝

馬立勝Masaru Madate

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posted2015/04/15 10:00

最小限の言葉で記された孤高の登山家の心の内。~山野井泰史『アルピニズムと死』~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『アルピニズムと死』山野井泰史著 ヤマケイ新書 760円+税

 クライマーは常に死と隣り合わせだ。まして、たいていが単独で世界の岩壁の難ルートに挑むクライマーとなると死は自分の影に等しいだろう。ある新聞は著者を「天国に一番近い男」と呼んだ。友人たちは「生きているのが不思議だ」と言った。著者はなぜ自分が40年も死なずに登り続けてこられたのかを考える。若くして亡くなった友人たちに経験を「伝えておけばよかった」という思いにもかられる。そして、本書が生れた。短い本だが、岩壁に張られたロープのような緊張感が漂っている。

 最初の墜落は中学生の時、千葉・鋸山の8m程の岩壁だ。落ち葉のクッションで助かった。高校生の時は、城ヶ崎海岸で落ちてきた相棒を両手で受け止め左腕骨折。その1年後、落下して痙攣を起こした人を助けようと口の中に指を入れて舌を引き出すうちに、その人は白目をむいて死んでしまう。それから舞台はヒマラヤ、アンデス、グリーンランドなどの世界の岩壁に移る。成功があり敗退がある。著者の名を広く知らせた沢木耕太郎の『凍』のギャチュン・カン北壁からの奇跡の生還後の活動が主になるが、右足の指すべてと手の指を5本も失っても登り続けるのは、それが著者の生きることそのものだからだ。

名利を追わず、妥協せず自分のしたいことに徹する。

 いくらでもドラマチックに書けるはずの登攀行の記述は簡潔を極める。著者が山に向かうときの装具や食料のように、必要最小限の言葉だけ。本書を読んでいて不意に浮かんできたのが文化勲章を辞退し97歳まで描き続けた超俗の画家・熊谷守一の自伝、『へたも絵のうち』の文章だった。名利を追わず、妥協せず自分のしたいことに徹する生き方を誠実に綴る文章の力強さが重なるのだ。

 孤高の登山家の心の内とその行動、というと物々しいが、こんな一節はどうか。子連れのクマに襲われ顔を齧られた。鼻筋が無くなり、医者から整形手術を勧められるが断ってしまう。「人間の再生能力は凄いです」「半年後には昔の顔に徐々に近づいたのです」。そして、親子のクマの安否を気遣い「また出会ってみたいと、密かに願うことがあります」。死を影としたクライマーの人柄が嬉しくなる。

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