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“赤鬼”の訃報に浮かんだチーズと納豆のケンカ。
~猪木vs.ルスカ、思い出す凄み~ 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2015/03/31 10:00

“赤鬼”の訃報に浮かんだチーズと納豆のケンカ。~猪木vs.ルスカ、思い出す凄み~<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

1976年2月6日に行なわれた“世界一決定戦”で猪木にスリーパーホールドをかけるルスカ。

 2月16日、“赤鬼”ウィレム・ルスカ死す(14日死去、享年74)の記事を目にした翌日の朝食は、フランスパンにアスパラガスのバター炒め、オランダの名産エダムのチーズだった。お昼は和食。納豆だった。

 訃報からはや1カ月。今なおルスカの笑顔が脳裏に浮かぶ。1976年1月、'72年ミュンヘン五輪の柔道2階級王者ルスカが柔道を引退し、プロレスに転向することを表明して来日。新日本プロレスのアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を行なうと発表した。その緊迫した会見の席上で、らしくないフード対決があって取材陣の笑いを誘った。

 柔道とプロレスの激突だ。互いに対戦の抱負をブチ上げる。ルスカが「俺の故郷エダムには、最高のチーズがある。それを食べて育って強くなった」と発言すると、猪木が間髪を入れず「日本には高タンパク質の納豆がある。負けるわけがない」と切り返したのだ。

 食文化の違いをこれほど端的に表した食材はない。思わず「プロレス担当も捨てたものではない」とほくそ笑んだ次第。

ハンセンの眼鏡を黒塗りするお茶目な一面もあった。

 そのルスカは異種格闘技戦で猪木と3度対戦しながら、1回も勝っていない。プロレスラーとしては結局、大成しなかったが、鍛え上げられた肉体(196cm、120kg)と鋭い眼光には得体の知れぬ凄みを感じたものだ。

 プロレスと格闘技を見続けて半世紀になるが、「こいつは強い!」と身ぶるいしたのは、このルスカと米国のレスラー、ドン・レオ・ジョナサン、カナダのジョージ・ゴーディエンコの三怪豪だ。

 そんな頑健なルスカが'01年に脳内出血で入院した時、報せてくれたのは、ほかならぬ彼にプロ転向を勧めた福田富昭(日本レスリング協会会長)だ。ヨーロッパ滞在中にリハビリ中のルスカを訪ねたが、「誰にも会いたくない」と断られたという。あれから15年近い。よくぞ闘病生活に耐えたものである。

 筆者は彼がプロ転向を表明した'76年に密着取材をしたこともあり、特別な思いで接してきた格闘家でもある。いつも礼儀正しく、好きな男だった。かと思えばスタン・ハンセンの眼鏡をマジックで黒塗りしたり、ブーツにビールを注いだり、お茶目な一面もあった。そんな“オランダの赤鬼”の笑顔は二度と戻って来ない。

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