SCORE CARDBACK NUMBER

箱根駅伝生中継を担う、TVマンが繋げる“熱い襷”。
~日テレに受け継がれる3つの教え~ 

text by

Number編集部

Number編集部Sports Graphic Number

PROFILE

photograph byShigeki Yamamoto

posted2015/01/25 10:30

箱根駅伝生中継を担う、TVマンが繋げる“熱い襷”。~日テレに受け継がれる3つの教え~<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

 僕は箱根の現場から去る時、後輩に遺言を3つ、残してきたんです。

(1)テレビ中継が箱根を変えてはいけない。
(2)チームと選手にエールを送る放送に。
(3)中継“している”ではなく“させて頂いている”という感謝の気持ちを持つ。

 この3つを、後輩が守ってくれているから、良い放送ができるんだと思います」

 こう語るのは、お正月の風物詩・箱根駅伝の“完全生中継”の生みの親、元日本テレビプロデューサーの坂田信久氏だ。走行距離200km超に及ぶ箱根駅伝の生中継を1987年に初めて成功させた。

「最初は役員会で猛反対され、何度も却下されました。山中からの中継という技術面の問題に加え、『関東のローカル駅伝で全国の視聴率が取れるわけがない』『資金面はどうするんだ』など、色んな課題を突き付けられました」

 それでも坂田氏は課題を一つずつ、潰していった。選手の出身校は全国にあり、視聴者の幅が広いことをプレゼン。広告代理店に先んじてサッポロビールに営業をかけ、スポンサー契約も取り付けた。

「ようやく制作の許可が出た後も『失敗したら責任とれるんだな』と言われてね(笑)。それまでは会社が決めたディレクターと仕事をしていたけど、この時だけは自分でパートナーを指名しましたね」

「都会、海、山にまたがるスポーツ中継を真摯にやろう」

 ディレクターとして指名されたのは、坂田氏より一回り以上年下の田中晃氏(現・スカパーJSAT取締役)だった。

「田中は僕にないものを持っていたから。特に技術サイドとの橋渡しで力を発揮してくれました。制作にいながら技術のスタッフとも交流して、信頼を得てくれた。人を束ねる力が凄かったね」(坂田氏)

 こうして2人を軸に、生中継がスタート。人気に火が付いた箱根駅伝は、今では視聴率20%を超える大行事となった。

 実は毎年、本戦後の1月中旬、中継に関わった歴代の放送人が集う会合が開かれている。その席で、今年の箱根駅伝プロデューサー・黒岩直樹氏はこう語った。

「都会、海、山にまたがるスポーツ中継を真摯にやろうという姿勢は脈々と受け継がれている。坂田さん、田中さんコンビの教えを今も我々が守っているんです」

 放送技術は年々進化し、出場する選手も毎年変わる。だが、スタッフの心意気は、変わらず受け継がれる。放送人の熱意で繋ぐ継走は、来年で30回目を迎える。

関連コラム

関連キーワード
箱根駅伝

ページトップ