プロ野球亭日乗BACK NUMBER
日本球界に乗り込むキューバの英雄。
門戸開放の陰に「亡命」と「裏開催」。
posted2014/05/16 10:50
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Naoya Sanuki
巨人とDeNAに相次いで、キューバの代表選手が入団した。
巨人と契約したのはフレデリク・セペダ外野手(34)。'04年アテネ、'08年北京の両五輪や、過去3回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でもキューバ代表として活躍した、文字通りキューバ野球の顔と言える選手である。すでに5月12日には来日、ケガで登録を抹消されたレスリー・アンダーソン外野手に代わって15日には一軍登録されて早くも実戦投入されている。
一方、DeNAが契約にこぎつけたユリエスキ・グリエル内野手(29)も'02年の代表入り以来、ほとんどの国際大会に出場している好選手で、'04年のアテネ五輪、'06年の第1回WBCでは内野のベストナインにも選ばれている。
これだけのトップ選手が政府公認で他国のプロリーグ入りしてプレーするというのは、キューバ球界はもちろん、受け入れる側の日本球界にとっても、まさにコペルニクス的転回といえるものだった。
「亡命」が常態化していたキューバの選手たち。
これまでキューバ政府は自国選手のプロ契約を、一部の例外を除いて頑なに禁じてきた。
かつて中日がキューバの至宝と言われたオマール・リナレス内野手を獲得したことはあったが、当時のリナレスは代表からも“引退”しており、選手生活の晩年を迎えた選手。キューバ政府側がリナレスの功績に応える形で、特例として中日との契約を許したものだった。しかも年俸はキューバ野球連盟に入っている。実質的にはそこからのリース契約というのが実態の移籍だったわけだ。
そして人材の宝庫であるキューバをMLBが放っておくわけもなかった。そのためにMLBは、イリーガルな「亡命」という形で選手を次々と“獲得”していったわけである。
選手は亡命エージェントの手引きでボートや高速艇に乗ってキューバを脱出し、あるいはナショナルチームの遠征先で米国大使館に駆け込んで新天地へのキップを手にしてきた。
しかし、こうして非合法に“脱出”する手段は、選手側にとっても様々な危険が伴うものだった。亡命に失敗すれば選手生命を断たれることになり、成功しても残してきた家族との再会はかなわない。
そのため、家族も亡命させるためにエージェントからさらに莫大な経費を要求されるという事態も起こっていた(ただし亡命選手の再入国に関しては一昨年に規制緩和されて、一定条件を満たして8年以上経過した選手は、帰国を許されるようになっている)。