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神話的な対称を形成した2つの哲学。
1976年のF1界を描く『ラッシュ』。 

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阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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photograph byGetty Images

posted2014/02/28 10:50

神話的な対称を形成した2つの哲学。1976年のF1界を描く『ラッシュ』。<Number Web> photograph by Getty Images

事故の翌年、1977年に撮影されたニキ・ラウダ(左)とジェームス・ハント(右)。ふたりはF1にロマンが溢れる時代のドライバーの代表格だった。

 1976年の秋に日本ではじめて開催されたF1(正式名称はF1世界選手権イン・ジャパン)の記憶はほとんどない。モータースポーツにあまり関心がなかったからだが、それでも覚えていることはある。そのレースのために来日したニキ・ラウダの姿だ。チャンピオン争いの首位に立つラウダは、その年の8月、ニュルブルクリンクのドイツGPで瀕死の重傷を負いながらわずか6週間でレースに復帰し、トップの座を守りつづけていた。

 雑誌に載っていたラウダの顔にはひと目で分かる大きな火傷のあとがあった。事故の激しさとともに、それだけのダメージを受けながら短期間でレースに復帰した彼の強靭な精神力がはっきり表れていた。ほとんどなくなった眉毛と半分固まったような表情の印象はいつまでも消えなかった。

 映画『ラッシュ/プライドと友情』は、この'76年のF1が舞台になっている。主人公はニキ・ラウダとジェームス・ハントというふたりのドライバーだ。この年チャンピオン争いを演じたふたりはなにからなにまで対称的だった。あまりにくっきりした個性の違いは、もしそれが創作なら単純すぎると脚本の書き直しを命ぜられたかもしれない。しかし、これは多少の誇張はあるにしてもあくまでも実話に基づいたものだ。ロン・ハワード監督はふたりのキャラクターを調べているうちに、その神話的なコントラストともいうべき姿を知って、きっと狂喜したのではないだろうか。ありのままに描くことがそのまま神々の劇になる素材など、そうどこにでも転がっているものではない。

1970年代の空気、ヒーローのリアルな描き方。

 映画としての見どころはいくつもあげることができる。レース場面の迫力はいうまでもない。ラウダのマシンが炎上する場面のおぞましさはもちろんだが、豪雨の日本グランプリでドライバーが感じた恐怖もリアルに描かれていて頭に残る。

 時代の描き方も巧みだ。ハントは'70年代のヒーローらしく享楽的で、セレブモデルを妻にするだけでなく、いつも多数のガールフレンドや取り巻きとともに派手な生活を送っている。もちろん「葉っぱ」も大好きだ。セックスとドラッグとアルコールの日々。ハントがミック・ジャガーやサッカーのジョージ・ベストといったヒーローたちの同時代人であることが的確に描かれている。個人的にはちょっとだけ登場するエンツォ・フェラーリの描き方に感心した。わずか数カットで、F1におけるフェラーリの特権的な地位、専制君主のようなエンツォの威厳と傲慢が鮮やかに描かれている。

【次ページ】 ミリ単位のセッティングか、ガッツと勇気か。

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