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総合格闘技の礎を築いた、
浦田昇の死を悼む。
~修斗に尽くした名コミッショナー~
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2014/02/23 08:10
1月13日の後楽園大会で久々にコミッショナー宣言を行ない、復調を期待した矢先だった。
1月16日、総合格闘技の老舗「修斗」のコミッショナーとして活躍した浦田昇氏が逝去した。享年73。
真剣勝負を愛した人だった。中央大学在学中にはアマチュアレスリングに熱中。グレコローマンスタイルのライトヘビー級で二度も全日本王者に就いた。
1964年には日本代表として東京オリンピック出場への期待も高まったが、腰のケガで断念せざるをえなかった。その直後、日本レスリング界の父・八田一朗は「(マサ)斎藤や(サンダー)杉山と一緒にプロレスに行け」と背中を押したが、浦田氏は「あんな器用なことはできません」と固辞したという。