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伊原春樹が追い求める
「西武黄金時代」の再来。
~監督復帰で示した威厳と規律~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byKYODO

posted2013/11/19 06:00

最後に監督を務めた2004年のオリックス時代は、厳しすぎる指導ゆえに選手との間に軋轢も。

最後に監督を務めた2004年のオリックス時代は、厳しすぎる指導ゆえに選手との間に軋轢も。

 楽天の日本一が決まったKスタ宮城、優勝取材でごった返す通路で「そこをどかんかい」という大声が聞こえた。声の主は星野仙一監督。その声に敏感に反応したのは、報道陣よりも選手や球団職員だった。「監督の機嫌が悪くなると大変だぞ」という緊張感が走る。この緊張感が今年の楽天の持ち味であり、監督としての星野の威厳にもつながっていた。

 その意味では、西武の監督に復帰する伊原春樹も、「監督としての威厳」を大切にする一人なのかもしれない。自由の中からプロらしさを求めた前任者の渡辺久信と違って、規則を作り上げ、厳しさを求めるタイプだ。

「昭和の人間の古い考えかもしれないが、今の若い連中は自由というものを履き違えている。茶髪の禁止、ユニフォームの着方など、原点に戻ってやりたい」

 と就任会見で宣言した伊原の秋季練習での第一声は、「西武鉄道の初乗りはいくらか」という質問だった。野球よりも、まずは社会人としての教育からスタートする――その裏には、「西武黄金時代の復活の礎を築く」という強い意志がある。

“伝説の走塁”を生んだ野球眼で若獅子を鍛える。

 プレーヤーとしては西鉄・巨人などでの実働9年間で450試合出場、2割4分1厘の成績を残しているが、伊原が卓越した野球眼を発揮したのは、'81年に西武のコーチに就任してからだった。広岡達朗、森祇晶の下で「黄金時代」を支えたのだ。'87年の日本シリーズ、日本一を決めた巨人との第6戦では2回、中堅・クロマティの怠慢プレーを見逃さず、二塁走者だった清原和博が本塁に突入して先制点を奪うと、8回には秋山幸二の打球がクロマティの右に飛んだのを見て、一塁走者・辻発彦が三塁を廻った。

 この大胆な指示を三塁ベースコーチとして出したのが伊原だった。相手のスキを見逃さない“ベースコーチの神様”と称され、「西武の野球は伊原によって作られた」とまで言われている。

 その後、野村克也監督の下で阪神コーチを務め、'02年に西武で監督としてリーグ優勝。オリックス監督を経て、'07年から'10年までは原巨人のヘッドコーチとして、指導力が健在であることを見せた。

 若い選手の多い西武にあって、規律を求める伊原の監督復帰は吉と出るか、凶と出るか。鍵を握るのは、緊張感を保つ監督の「威厳」であると思う。

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