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ソリアーノが忘れない、
アメリカンドリームの原点。
~広島で始まった2000本への道~ 

text by

四竈衛

四竈衛Mamoru Shikama

PROFILE

photograph byYukihito Taguchi

posted2013/08/25 08:00

ソリアーノが忘れない、アメリカンドリームの原点。~広島で始まった2000本への道~<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

 ヤンキースのアルフォンソ・ソリアーノ外野手が、8月7日のホワイトソックス戦で日米通算2000本安打を達成した。メジャー通算1998安打に、プロ生活を始めた広島時代の2安打を加えた、これまでにない、珍しい「大台」到達となった。試合後、日本の名球会入りの資格を満たしたことを聞かされると、少し照れくさそうに言った。

「日本では少しの時間しかプレーしていないし、2本のヒットしか打っていないけど、とてもハッピーな気分だよ」

 1996年当時、ドミニカ共和国で広島が運営していた「カープアカデミー」を経て来日。翌年8月5日、背番号「74」を付けて一軍デビューを果たした。その後、9試合で17打数2安打の記録を残した一方で、そのオフ、球団との間で契約問題がこじれて退団。母国に戻り、トレーニングを続けていた際、ヤンキースに才能が認められて契約した。

 2001年にメジャーへ定着してからはトントン拍子でスター街道を駆け上がった。'02年に41盗塁で初のタイトルを獲得すると、ナショナルズへ移籍した'06年には、46本塁打、41盗塁で、打者の夢と言われる「フォーティ・フォーティ」を達成。スーパースターの仲間入りを果たした。

「昔は悪ガキの印象だった」と語った黒田も偉業を称賛した。

 過去オールスターに7回出場し、今や約18億円もの年俸を稼ぐようになったが、今でもソリアーノは日本で育てられた恩義を感じている。広島といえば、伝統的に厳しい練習で知られており、二軍時代は広島・宮島近くの合宿所で日が暮れるまで汗にまみれたという。

「随分と昔のことになったけど、日本では一生懸命に練習する大切さを教えてもらった。まだ若かったけど、今でも忘れることのできない期間だね」

 それだけに、今でも日本人の同僚との親交は深い。かつては松井秀喜氏、カブス時代の福留孝介(現阪神)と一緒にプレーし、現在もイチロー、黒田博樹と日本語であいさつを交わすことも珍しくない。

「昔は悪ガキの印象でしたが、その当時、ここまで打つとは思わなかったですよ」

 広島時代、同じ合宿所で過ごした黒田の言葉は本音だろう。ソリアーノのアメリカンドリーム。その「原点」が日本にあることを、彼は忘れていない。

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