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<松井秀喜に浴びた一撃の記憶> ゴジラと勝負した3人の男たち。~'91竜ヶ崎一/'92宮古/'92堀越~ 

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藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph byKatsuro Okazawa

posted2013/08/15 08:00

<松井秀喜に浴びた一撃の記憶> ゴジラと勝負した3人の男たち。~'91竜ヶ崎一/'92宮古/'92堀越~<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa
他を圧する風格の強打者を打席に迎えても、逃げることなど考えなかった。
渾身の力で投げ込んだ白球は確かにスタンドの彼方まで運ばれたが、
真っ向勝負に悔いはない。敬遠伝説が生まれる前、正面からゴジラに挑み、
痛恨の一発を浴びた3人の投手が、20年の時を経てなお鮮明な記憶を語る。

 ついにバットを振らぬまま対戦相手の校歌を聞いた。1992年8月16日、甲子園での明徳義塾高校戦、松井秀喜は、敬して遠ざけられた。怪物の評価を確定させた5打席連続四球。はなからストライクは放棄された。

 あの「敬遠の夏」には、春、そして前の年の夏の伏線があった。ゴジラの進路に両手を広げて立ちはだかる少年がいた。堂々と勝負を仕掛ける。すると白い物体は外野の向こうへと運ばれた。松井、ホームラン! そうやって、苦く、切なく、歳月を経ると誇らしくもある青春の句点は打たれた。

 以下、悔いが悔いでなかったストーリーである。あれから20年強、本塁打を許した者はそれぞれの世界に生きている。胸の底、そのまた底から「マ」と「ツ」と「イ」の響きが消えることはない。

 JR常磐線、夕刻の石岡駅は蒸していた。近くの古いホテルにようやく喫茶スペースが見つかり、ややあって、ポロシャツ姿の背の高い人物は現れた。

 鷺沼智尉。旧姓の藁科と紹介すれば、あるいは思い出される高校野球ファンもおられるだろう。かつて茨城県立竜ヶ崎第一高校のエースを張った。'91年8月17日、一学年下の2年生、松井秀喜の2ランを浴びた。

「この季節は、いつも私が打たれてる映像が流れる」

「夏の甲子園の松井のホームランはそれしかないはずです。だから、この季節は、いつも私が打たれてる映像が流れて」

 3回戦。8回表。2ストライクを奪い、サイン通りにフォークを落とすと、のちにニューヨーク・ヤンキースの一員となる四番打者の手は出ない。しかし球審の手も上がらなかった。「あそこで三振とれてればよかったんでしょうけど」。それならとシンカーを放る。「でも落ちなくてシュート気味に甘く入った」。右中間スタンドへ。一塁側応援席の中学時代の友と目が合った。「自分は笑ったんです。打たれちゃったよ、みたいな感じで」。3対4の惜敗。「惨めではなかったんですよ、大差をつけられたわけじゃないのでね」。飄々と言い切った。

 竜ヶ崎一は、地域の伝統校だ。公立の普通のチームが、超の字の怪物を擁する私学によく挑んだ――。つい、そんな図式にあてはめたくなる。あの夏の関係は本当は違った。

 そもそも松井秀喜についてさしたる認識がなかった。「顔は知ってました。ゴツゴツしていてね」。印象はそこにとどまる。もとより敬遠策などありえなかった。

【次ページ】 藁科は5連続敬遠を「いい作戦ですよね」と語った。

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