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今年のボールは“飛ぶ”のか。
反発係数の歴史を振り返る。
~過去の投打バランスで比較する~ 

text by

小川勝

小川勝Masaru Ogawa

PROFILE

photograph byAFLO

posted2013/07/05 06:00

下田事務局長(左)は加藤コミッショナー(中)に辞意を伝えたという。

下田事務局長(左)は加藤コミッショナー(中)に辞意を伝えたという。

 今回の統一球をめぐる問題は、日本野球機構(NPB)の統治問題であって、ボールそのものの善し悪しが問われているわけではない。

 だが、そもそも、どのようなボールがプロ野球に相応しいのか。それは、どのような投打バランスを野球に求めるかによって変わってくる。絶対的な正解は存在しない。では、誰がそれを決めるのかと言えば、現在では球界の最高統治者、コミッショナーの判断ということになる。

 日本のプロ野球でも、歴史上、ボールの調整は何度か行なわれてきた。統一球の反発力が注目されたこの機会に、プロ野球のボールをめぐる歴史を振り返ってみよう。

'80年には他社より推定飛距離で11m以上飛ぶボールもあった。

 ボールの変化が、打撃成績に最も劇的な影響を与えたのは、戦後間もない1949年と'50年のことだった。この2年間、当時としては初めて機械で自動製造された国内メーカーの高反発球が採用された。本塁打数は'48年の391本から翌年には874本に激増。'50年には球団が増えて2リーグになったが、高反発球が採用される以前には1人もいなかった年間30本塁打以上の選手が、'50年には9人も誕生した。

 この状況を受け、打高投低が行き過ぎたと判断した日本野球機構は、初めてボールの反発力を規制。その結果、'51年の本塁打数は前年比44%減、30本塁打以上も2人となった。

 その後、再びボールの反発力が注目されたのは'80年だった。「飛ぶボール」の噂を耳にしていた当時の下田武三コミッショナーは、ボールを床に落とす従来の検査ではなく、より精度の高い測定法を求めて、開幕前から日本車両検査協会に測定機の開発を依頼していた。そのような折、4月の近鉄─ロッテ戦で本塁打が続出する中、近鉄打者のファウルボールをロッテ側が確認したところ、日本野球機構の合格印がなかったとして審判団に抗議、連盟提訴となった。

 さっそく新たに開発された測定機で当時のメーカー7社のボールを測定したところ、美津濃(現ミズノ)のボールが他社より推定飛距離で11m以上飛ぶという結果が出た。

<次ページへ続く>

【次ページ】 平均反発係数を定めると本塁打は400本以上減った。

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