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松平健太、世界卓球で初のベスト8。
“20年に1人の逸材”の逆襲が始まる!
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2013/06/03 10:31
準々決勝で世界ランキング1位のキョ・キンに肉薄。今大会は兄・賢二、妹・志穂と兄妹3人揃って代表入りしたことも話題になった。
大会での、最大の成果と言ってよいかもしれない。そして、「20年に1人」と言われた逸材の、鮮やかな復活への一歩かもしれない。
5月13日から20日までフランス・パリで行なわれた卓球の世界選手権。
大学4年生の松平健太が、自身初めてのベスト8入りを果たした。しかも、北京五輪金メダルの馬琳(中国)、元世界ランク1位のサムソノフ(ベラルーシ)と、格上の2人を破ったのだ。準々決勝では、世界ランキング1位のキョ・キン(中国)に敗れたが、第2、第3ゲームを奪うなど善戦。キョ・キンの表情に一時、焦りがうかがえるほどだった。この試合に敗れたものの、当の松平本人は、22日の帰国時に晴れやかな表情を浮かべていた。
松平は、'06年の世界ジュニア選手権で日本人選手として初優勝を遂げ、その後も'09年からは3年連続で世界選手権代表に選ばれるなど、「世界のトップを狙える逸材」として大きな期待を集めてきた。
子どもの頃、独自に編み出した「しゃがみ込みサーブ」を武器にする松平は、'09年、横浜で行なわれた世界選手権で、馬琳を相手に最終ゲームまで持ち込む熱戦を見せ、馬琳に「近いうちに中国の強敵になります」と言わしめた。
だが、翌年の全日本選手権で初戦敗退するなどスランプに陥り、思うような活躍ができない時期が続いた。体の成長によるバランスの狂いをあげる声があれば、精神面を原因とする声もあった。当の本人にも、これという明確な原因が見当たらなかった。
出場できなかったロンドン五輪から9カ月で見せた成長。
それでも日本の上位をキープしてはいたが、その先に大きな挫折が待っていた。目標としていたロンドン五輪代表入りを逃したのである。
ロンドンの日本代表は、'11年5月の世界選手権後の世界ランキングに基づいて、ランキング上位2名が内定することになっていた。
松平は世界選手権の前は水谷隼に次いで日本男子勢で2位につけていた。ところが、世界選手権では、現地入りしたあとに体調を崩し、1回戦で格下の選手に敗北。結果、岸川聖也に2位の座を明け渡し、シングルスの代表を逃した。のちに発表された団体要員の1枠も、3つ歳下でありダブルスでコンビを組んでいた丹羽孝希に譲ることになった。
出場権を目の前にしながら、出ることのできなかったロンドン五輪から約9カ月。
迎えたこの世界選手権で、ひと回り大きくなった姿を見せた。定評のある前陣で強打を返す「ブロック」に加え、安定感のあるバック、フォアで、堂々と格上の選手たちに勝利したのだ。