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母の想いとともにリオを目指す。
体操・笹田夏実、再挑戦の第一歩。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2013/05/20 10:30

母の想いとともにリオを目指す。体操・笹田夏実、再挑戦の第一歩。<Number Web> photograph by AFLO

全日本選手権で初優勝した笹田夏実。母の弥生さんは全日本選手権を3度制しており、親子制覇となった。

 5月12日、世界選手権の代表2次選考会を兼ねた体操の全日本選手権個人総合決勝が行なわれた。

 ロンドン五輪で中心となった田中理恵、鶴見虹子が欠場した女子で優勝したのは17歳、高校3年生の笹田夏実だった。

 この大会での初めての優勝は、ひときわ、嬉しいものとなった。

 笹田は、早くから将来を嘱望されてきた選手だ。

 2008年、全日本ジュニア選手権を中学1年生で優勝したことが注目を集めるきっかけとなった。

 '10年の全日本選手権では、2日目の合計得点では鶴見を上回る活躍で、鶴見に次いで2位となった。このシーズンは年齢制限のため世界選手権代表にはなれなかったが、平均台で最高のG難度の後方伸身宙返り1回ひねりを決めるなど、「次代のエース」とささやかれるようにもなった。

 '11年のシーズン前半は故障のため棒に振ったが、秋に行なわれた全日本団体・種目別選手権では4種目中、段違い平行棒と平均台の2冠。

 満を持して迎えたのが、'12年、ロンドン五輪シーズンだった。

幻の五輪代表だった母の助言は「チャンスは1回だけ」。

 オリンピックには、特別な思いがあった。

 笹田が脚光を浴びた理由には、親の存在もある。父、母ともに元体操選手であり、笹田のコーチでもある母の笹田(旧姓加納)弥生氏は、世界選手権に4度出場するなど、'70年代後半から'80年代初頭にかけて日本のエースとして活躍した選手だった。

 だが、オリンピックには出場していない。

 1980年、モスクワ五輪代表になったが、日本がボイコットしたことでオリンピック出場は幻に終わったのである。

 笹田は、当時の事情や心情を母から何度も聞かされてきた。

「すごく悔しかったと思います。だから私はロンドンには必ず出たいです」

 母からは、「チャンスは1回。2回あるわけじゃない」とも言われていたという。母自身の経験から来る言葉の重みもそこにはあったろうし、体操の女子は10代にピークが来ても不思議ではない。強い思い入れをもってロンドン五輪へと気持ちを向けていた。

【次ページ】 得意の平均台で冒した痛恨のミスでロンドン五輪を逃す。

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