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5冠王・萩野公介は“和製フェルプス”。
「伸びしろしかない」という強さの秘密。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byDaiju Kitamura/AFLO SPORT
posted2013/04/15 11:45
6冠には届かなかったことで、「疲れが残っていた」「力みが出た」と語った萩野。しかし、18歳での偉業は日本水泳史に残るものである。
圧巻だった。
間違いなく、大会の顔だった。
昨年のロンドン五輪の400m個人メドレーで銅メダルを獲得、今春、大学生となった18歳の萩野公介が競泳の日本選手権で快記録を成し遂げた。今夏のバルセロナ世界選手権の代表選考を兼ねたこの大会で、出場した6種目のうち5つの種目で優勝し、これまでの最高だった4冠という記録を塗り替えたのである。
初日の4月11日、最初の種目の400m個人メドレーで優勝すると、翌12日には200m自由形、100m背泳ぎ、13日は400m自由形、200m個人メドレーで優勝。最終日の200m背泳ぎこそ、入江陵介の前に2位に敗れたが、堂々、5冠の達成である。
内容も見事だった。400m個人メドレー、200m個人メドレーはともに日本新記録を達成し、12日の200m自由形で松田丈志、100m背泳ぎでは入江と、それぞれの種目の第一人者を制しての優勝である。彼らが決して本調子ではなかったとはいえ、勝った意味は大きい。
「ダメージないかなと思っていましたが、決勝は意外に疲れてしまって、こういう結果になりました」
「まだまだ力が及ばなかったと、自分に言い聞かせたいと思います」
最後の種目で2位となったあと、萩野はそう語ったが、注目すべきは、やはりタフネスぶりだ。予選も含め、4日間で泳いだレースは合計12にのぼる。特に12日は、約20分の間隔で2つの決勝を泳いで両種目での優勝である。並々ならぬ体力というほかない。
「水泳をするために生まれてきた子と思いました」
小学3年生から昨年まで指導にあたってきた前田覚コーチは、以前、「水泳をするために生まれてきた子と思いました」と萩野を評した上で、こう語っていた。
「水泳に向いた手足の長さ、そして持久系の練習をするとものすごく強かったです」
コーチがそう感じる強さの上に、じっくりと時間をかけて体を作り上げてきたからこその今日がある。
タフネスは、体ばかりではない。これだけ多くの種目のレースをこなすには、大会ではむろんのこと、練習でもメンタルのスタミナを要求される。
現在、萩野の指導にあたる平井伯昌コーチが「努力することが苦ではないんじゃないかと思います」とコメントしているように、ひたむきに練習に取り組む姿勢に心の強さが表れている。