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<ブラジル現地取材> 田中マルクス闘莉王を支えた家族の絆。 

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

PROFILE

photograph byNaoyoshi Sueishi

posted2010/07/20 08:00

4試合で僅か2失点。安定した守備陣を統率した
闘将の心の支えになったのは家族の存在だった。
ブラジル、南アで見守った彼らにもドラマがあった。

 ブラジルのこんな田舎町に生まれた孫が日本のお役に立てるなんて……。これ以上の喜びはありません。南アフリカに向けて日本を出発する前、あの子が私に電話をくれたんです。日本でお世話になってきた方たちのために頑張ってきて。そう伝えたら、「わかった、ばあちゃん」と答えてくれました。

 私が持っている日本代表のユニフォームは、孫がくれたものです。日の丸もこの町では売っていないので、布を買ってきて、自分で作りました。周りの人が持っている日の丸も、頼まれて私が1枚ずつ縫ったんです。そうですね……。全部で15枚くらいでしょうか。

「ヴァモス・トゥリオ!」「ヴァモス・ジャポン!」

 6月24日ブラジル、パウメイラ・ド・オエスチ。この町にある最も大きいレストラン「サベラナ」は200人を超す住民たちがつめ掛け、超満員だった。店の奥には巨大スクリーンが用意され、ワールドカップが中継されている。集まった人々の中には、「必勝」と漢字で書かれた鉢巻を締めている人もいた。

 しかし、画面に登場した選手たちは、ブラジル国民の誇りであるセレソンではなかった。そこにはこの町で生まれ、海を渡り、そして日の丸を背負って欧州の強豪国と闘う、ひとりの選手の姿があった。

 FIFAアンセムと共に選手たちが入場し、君が代が演奏され、髪を後ろで束ねた長身の若者がスクリーンに大きく映しだされると、レストランにいる観客たちは口々に彼の名を叫びはじめた。

「ヴァモス・トゥリオ(行け、闘莉王)!」

「ヴァモス・ジャポン(ガンバレ、ニッポン)!」

 田中マルクス闘莉王の祖母、田中照子と父、パウロ・隆二・田中はスクリーンの前に陣取っていた。国歌が吹奏されると照子は日の丸を手に持ち、直立不動で君が代を歌った。

サンパウロの北西約650キロにある小さな町で。

 ワールドカップ決勝トーナメント進出をかけた日本対デンマーク戦。この大舞台で、孫と一緒に君が代を思い切り歌うことができた。照子はそう思うと、涙が出るほど嬉しかった。

妹・ルアーナと祖母・照子。日本国旗は照子が作ったものだという

 富山県で生まれ、今年で82歳になる照子が日本からブラジルに移住したのは、わずか5歳の時のこと。今は亡き夫の義行と共にこの町に住み始めてから、もう55年になる。

 パウメイラ・ド・オエスチは、ブラジル最大の都市・サンパウロの北西約650キロに位置する人口1万人ほどの小さな町だ。農産物を運ぶ馬車が時折道路に姿を見せ、馬の蹄がポコポコと音を立てるのどかな環境で、サムライ・ブルーの背番号4は生まれ育った。

 闘莉王の父親、隆二はかつて高校教師だったが、現在は弁護士事務所を開業している。スイスでの合宿からパラグアイ戦まで隆二は毎日、息子と電話で話をしたという。

<次ページへ続く>

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