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<フルマラソンのレジェンドが語る> 瀬古利彦×高橋尚子 「達人のマイ・ルール教えます」 

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柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

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photograph byYasuyuki Kurose

posted2013/03/14 06:00

<フルマラソンのレジェンドが語る> 瀬古利彦×高橋尚子 「達人のマイ・ルール教えます」<Number Web> photograph by Yasuyuki Kurose
今回のNumber Doは初のフルマラソン特集!
練習法からレース運びに至るまで、100人のフルマラソン経験者が、
「マイ・ルール」を明かしてくれました。

ウェブでは、'80年代に日本人初となる2時間8分台を叩き出し、
無敵の強さを誇った瀬古利彦さんと、シドニー五輪で
世界の頂点に立ったQちゃんの対談を公開。
2人の“レジェンド”が語るマイ・ルールには、
市民ランナーも学べるたくさんの教えが隠されていました!

高橋  瀬古さん、DeNA陸上部の総監督就任おめでとうございます!

瀬古  ありがとう、Qちゃん。俺も現場に戻って選手たちにビシビシQちゃん並みの練習をやらせるつもりだよ。

高橋  今日は私たちのマラソン・マイ・ルールを語り合いましょうということなんですけど、私、あげだしたら数え切れないほどあるんですよね。

瀬古  俺、何かあったかな? 考えたこともなかったよ(笑)。

高橋  たとえば、私の練習のときのルールは、本練習が終わった後に必ず30分以上はジョッグすることでした。40km走、50km走の後でもです。実業団に入ったとき、まわりが強い選手ばかりだったから、同じ練習をしていたらいつまでも追いつけないと思って始めたんです。ただ、中学校のときから100m×3本は必ずプラスアルファでやってました。

Toshihiko Seko
1956年7月15日、三重県生まれ。早稲田大では中村清監督のもと、箱根駅伝で2年連続区間新を記録。マラソンでは福岡国際3連覇やボストン、ロンドン、シカゴを制するなど、輝かしい実績を残した。引退後はエスビー食品監督、早稲田大コーチなどを歴任。今年4月より発足するDeNA陸上部の総監督就任が決定している。

瀬古  俺は中学校の頃は野球部だったんだけど、マラソン大会の前はよく走ったよ。どうしても負けたくないから、部活の後に5kmの秘密練習をしてた。でも、高校で陸上部に入ってからは朝練もなくて、ほとんど午後練習のみだったけど。

高橋  それでインターハイ2年連続2冠なんだから天才肌なんですね。

瀬古  いや、でも大学に入って中村清先生の下で本格的に長距離を始めてからは苦労した。プラスアルファの練習は当たり前になったしね。40kmの後に2000m+1000mとか、5000m×3本やった後、インターバルとかね。

高橋  さらにスピード練習を加えるんですね。マラソンの42kmという距離はどんなふうに考えてました?

瀬古  最初の頃は、練習の40km走を完走するのが精一杯だったよ。でも、慣れてくると50km、70kmと長い距離を走り込むようになった。そういう超・長距離の練習をすると、フルマラソンが短く感じられるようになるんだ。最高88kmまで走ったね。宗茂・猛さんたち兄弟が120km走ったらしいとか、噂が伝わってくるんだよ。それでお互い意識してどんどん距離が延びていったわけ。

高橋  へぇ~。練習のときもライバルを意識してたんですね。私はなかったなあ。

瀬古  中村先生が言うんだよ。「宮崎(宗兄弟の練習拠点)を見なさい。東京は雨でも宮崎は晴れだ。彼らは走っているぞ。おまえは雨の中でもやらなきゃだめだ」って。そうしたら走らざるをえない。

【次ページ】 マラソンを走りたいなら、とにかくたくさん歩くこと。

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