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<シリーズ 3.11を越えて> 加藤久 「たったひとりの復興支援」~被災地を駆けた600日~ 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byMiki Fukano

posted2013/03/08 06:01

<シリーズ 3.11を越えて> 加藤久 「たったひとりの復興支援」~被災地を駆けた600日~<Number Web> photograph by Miki Fukano
2011年10月、日本サッカー協会の“復興支援特任コーチ”に就任した。
部下はいない。ひとりでレンタカーを運転し、沿岸部を回る日々――。
落ち込む夜もあったが、故郷のために走り回った男の1年を追った。

雑誌Numberに連載中の「シリーズ 3.11を越えて」。
東日本大震災から2年の日を前に、Number815号より、
元サッカー日本代表DFの知られざる奮闘をお届けします。

「久さんが、ひとりで復興支援活動をしているんですよ」

 そんな話をJリーグ事務局の首藤久雄から聞いたのは、まだ夏の暑さが残る9月上旬だった。

 久(きゅう)さんこと加藤久(ひさし)は、'80年代、ハードな守備のDFとして読売クラブの黄金期を支え、日本代表のキャプテンとしても活躍した。1994年に引退すると川崎、湘南、京都などの監督を歴任した。

 宮城県出身の久さんが被災地でボランティア活動をしたとしても何ら不思議なことではない。ただ、その時、引っ掛かったのは、ひとり、ということだった。被災地で何かをしたいという気持ちは、日本人ならなんとなく共有出来ている感覚だろう。だが、最近は忘れられつつあるのも事実だ。だから、久さんがずっとひとりで頑張っているというのを聞いて、心が疼いてしまった。

 なぜ、たったひとりで……。

「みんな、生きるために必死だった」

 あの日、久さんは、都内の自宅にいた。

 1週間後、自分の車に食料や水など必要な物資を積んで塩釜市に入った。実家の1階は津波で使用不能になっていたが、2階に住み込み、知人から情報を聞き、石巻や女川など孤立している地域に行った。「SOS」と校庭に文字を書いてニュースになった石巻市立大須小学校にも国土交通省より早く行き、子供たちにお菓子や文具を配った。

 被災地で何が必要なのかを把握し、物資配送の指揮を取ったり、遠方から炊き出しに来てくれた知人を被災地に案内していたのだ。

「みんな、生きるために必死だったからね。そのために必要な水や野菜などの食物、着る物を届けたり、もう無我夢中で訳も分からずやっていた。だから、何やっていたのか正確に覚えていないんです。写真を見せられて、あぁこんなことをしていたんだって思い出す程度なんですよ」

 気が付けば、アッという間に3カ月が経過していた。

 一方、サッカー界も動き出していた。3月29日に日本代表のチャリティマッチが開催され、4月23日にはJリーグが再開した。被災地ではサッカー大会やサッカー教室などが開催されるようになった。だが、久さんは、出身地の利府で行なわれたサッカー教室以外、ボールを蹴ることはなかった。

【次ページ】 「3カ月はサッカーをやるという気持ちにならなかった」

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