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周囲を幸せにし続ける男、
岩瀬仁紀の次なる夢。
~新生「名球会」入り第1号~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2010/07/04 08:00

今季16セーブ目で大記録に到達。ガッツポーズは小さかったが、お立ち台では満面の笑み

今季16セーブ目で大記録に到達。ガッツポーズは小さかったが、お立ち台では満面の笑み

 金田正一から王貞治に会長の座が移った新生「名球会」入りの第1号となったのが、中日・岩瀬仁紀。6月16日、交流戦最終試合の日ハム戦で、250セーブ目を挙げたのだ。250セーブが入会資格の抑え投手としては、NPB通算286セーブの高津臣吾、同252セーブの佐々木主浩に次ぐ、3人目の名球会入りとなった。

 愛知大時代は打者兼任、1試合3本塁打を放ったこともある強打者だった。大学通算安打は、リーグ記録にあと1本と迫る124本で、本人は「もし安打記録に並んでいたら、投手をやっていなかったかも」と言うから、何が幸いするかわからない。

「酒好きだとつい深酒になり、連投がきかなくなる」

 社会人時代は、球は速いが長いイニングを投げることができなかった。地元担当スカウトだった近藤真市(現・中日投手コーチ)がそう報告すると、当時の監督、星野仙一は「球が速いならば」ということで即、指名を決定し、'99年、ドラフト2位で逆指名入団。当時の投手コーチ、山田久志に「長いイニングはもたんらしいので、中継ぎとして一人前にしてくれ」と要請した。

 その時のことを山田ははっきりと覚えている。

「酒が飲めない体質というので、それならセットアッパーとしていけると思った。酒好きだとつい深酒になり、連投がきかなくなる」。

 入団年から中継ぎとして成功し、近藤はコーチに昇格、山田はリーグ優勝で、次期監督の座を約束された。

クローザー転向後6年でケタ外れの245セーブを記録。

 山田が退任し、落合博満が監督になった'04年からクローザーに転向。'07年には、中日に53年ぶりの日本一をもたらす。最近は決め球のスライダーを有効に使うためシュートを投げ、シンカーやチェンジアップで打者を上手に誘うようになった。

 抑え転向後6年と少しで挙げた245セーブは、「抑えの賞味期限は3年」といわれる中、ケタ外れの数字。通算防御率2.06(6月21日現在)も、高津、佐々木にまさる。横浜で佐々木とバッテリーを組み、中日で岩瀬の球を受ける谷繁元信は「2人の共通点は優しさ」と言うが、優しさイコール気の小ささが、投球をより慎重にしているのかもしれない。

 250セーブにも、落合監督は「この程度でバタバタして。300セーブに達したらお祝いする」と語ったが、周囲を幸福にし続けた男が目指すのは、もちろんNPB初の300セーブだ。

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