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「生涯、一捕手として」
城島健司の潔い引き際。
~貫き通したリードへの矜持~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byKYODO

posted2012/10/13 08:00

「生涯、一捕手として」城島健司の潔い引き際。~貫き通したリードへの矜持~<Number Web> photograph by KYODO

「4億円もらいながら阪神の優勝に貢献できなかった男には、晴れの場はいらない」

 城島健司は、球団が用意した甲子園での引退試合を頑なに固辞したという。引退表明から一夜明けた9月29日、鳴尾浜でのウエスタン・リーグ・オリックス戦で、1回限定でマスクをかぶり、ユニフォームを静かに脱いだ。

 2度にわたる左ひざの手術と椎間板ヘルニアで苦しみ、満足にプレーできないとき、株主総会で「不良債権」と批判された。人一倍チームの勝利を考えていた彼にとっては、屈辱だったにちがいない。

「野球が好きで、捕手が好きで……。捕手が出来ないと分かってプレーすると野球が嫌いになってしまいそうだから」

 潔い彼らしい引退の理由だった。

 王貞治がダイエー(現ソフトバンク)監督に就任した'95年にプロ入り。3年目にレギュラーの座を掴み、'99年の日本一に貢献した。'03年に再び日本一に輝くと、'06年にメジャー移籍。マリナーズで日本人初の捕手としてマスクをかぶった。日本球界に戻ったのは'10年。あと2年残っていた契約を自ら破棄しての復帰だった。

工藤、武田の部屋を訪れて学んだリードは、杉内らの飛躍の礎に。

 新人時代は、工藤公康、武田一浩の部屋の扉を叩いて、“自分の要求した配球”について、その正否をたずねてまわった。ソフトバンク時代の後輩・杉内俊哉が「城島さんは144試合を考えて配球している。間違いなく僕を育ててくれた」と語るなど、投手からの信頼は厚い。

 '09年の第2回WBCでは球界の重鎮に噛みついた。第1ラウンド韓国戦で“待っているのがミエミエなのに”と城島の配球を批判した野村克也に対して反発。決勝では、この大会5度目の対戦となった韓国打線を抑えて、見事結果を出した。

 阪神入団後は、藤川球児にこう言い続けていた。「優勝争いになったら必ず役に立つから、今は力勝負をしよう」。この約束を果たせなかったことは、大きな心残りだったのではなかろうか。

 200号本塁打を達成した'05年のこと。知人に記念として、クリスタル時計を配った。何度か電池を交換したが、今でも正確に時を刻んでいる。そのことを城島に告げたとき、「換えられるものならば良いんだけど……」と左ひざを寂しそうにさすっていた。故障がなければまだまだ一線で働ける男だったのは間違いない。

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