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<対戦相手が語る桑田と清原> KK、戦慄の記憶。~'83高知商/'84享栄/'85宇部商~ 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

photograph byToshihiro Kitagawa

posted2012/08/13 06:00

16勝1敗、優勝2回――。1983年から'85年まで
絶対エースと不動の4番を擁するPL学園は、並み居る
難敵を次々と打ち破り、大観衆で埋まった夏の聖地に、
偉大な記録と強烈な記憶を刻んだ。彼らに果敢に
立ち向かった男たちが肌で感じた、驚異の二人の衝撃とは。

 1983年夏。PL学園は青くて酸っぱかった。4番の清原和博は、体格こそ大きかったが、八重歯の光る笑顔は少年だった。桑田真澄は早生まれで、夏の甲子園がはじまってもまだ15歳だった。チームは清原、桑田というふたりの1年生を4番とエースに据えて大阪予選を勝ち抜いてきたが、この青くて硬そうな果実が大会の間に日を浴びて熟するなどと考えた人はほとんどいなかった。

 だが、ふたりは故障者が出てやむなく起用された1年生ではなかった。よほどのことがない限り1年生は先発させないという部の不文律を破り、予選からチームの主軸を任せてきた。特別なふたりだった。

 PL学園は1回戦、2回戦を勝ちあがる。3回戦の東海大一高との試合は、1、2回で5点を奪い、主導権を握って押し切った。

「将来が楽しみな好チーム」

 それでもそれがこの時点での評価だった。というのも、つぎの準々決勝の相手が高知商業だったからだ。断然の優勝候補、夏、春、夏の甲子園3連覇をねらう池田高校をあわてさせるチームがあるとすれば、高知商はその候補のひとつとみなされていた。

 春の四国大会で、高知商は強打の池田を1点に抑える試合を見せていた。池田の水野雄仁に完封され、勝利はならなかったが、エースの津野浩はプロも注目する好素材で、1年生が柱のPLでは荷が重いというのが戦前の見方だった。

“打倒・池田”の一番手だった高知商が受けた先制攻撃。

 だが、高知商の監督、谷脇一夫は周到な準備を怠らなかった。

津野浩
1965年8月6日、高知県生まれ。高知商2、3年時に夏の甲子園出場。'84年、日ハムに入団。ロッテなどを経て'97年、現役引退。現在はゴルフのレッスンプロ。

「ウチは伝統的にデータ重視。必ず事前に相手を自分の目で見るようにしていました。わたしも甲子園では対戦校の練習はかならず見る。PLのときはたしか、変装して人に気づかれないように練習を見に行ったと思います」

 練習を見た谷脇の評価は高いものではなかった。

「怖いという印象はありませんでしたね」

 当時の四国のレベルは高かった。池田を見慣れた目からすれば、15歳の桑田は迫力に欠け、清原は穴の多い4番に見えたのだろう。

 ところが試合がはじまると、高知商はいきなり頬を張られたような先制攻撃を受ける。1回に清原の二塁打で先制されたのを皮切りに、2回には連続二塁打で3点、3回にも二塁打を4本並べて3点を奪われ、7対0とリードされた。

「それ以前に、この試合みたいに打ち込まれたことがありました」

 先発した津野がふり返る。

<次ページへ続く>

【次ページ】 「清原以外は見かけはふつう。でも力はすごかった」

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