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<最強投手進化論> ノーラン・ライアンが語る「1995年のノモと2012年のダルビッシュ」
text by
エバン・グラントEvan Grant
photograph byAFLO/Yukihito Taguchi
posted2012/05/28 06:01
【写真左】オールスターのセレモニーで晴れやかな笑顔を見せた野茂。左はマット・ウイリアムス、右はクレイグ・ビジオ 【写真右】ワシントン監督に祝福されるダルビッシュ
そこで、現在発売中のNumber804号「最強投手進化論。1995-2012」から、野茂英雄氏とダルビッシュ投手をつなげる特集記事を選び、特別にその全文をNumber Webで公開することにしました!
1995年7月11日。野茂英雄は渡米1年目にしてオールスター先発の栄誉を担った。テキサス・レンジャーズの本拠地で行なわれたこの一戦の始球式を務めたのは、現役時代に最速101マイルの速球で三振の山を築き、324勝を挙げた伝説の名投手、ノーラン・ライアンだった。
現在はレンジャーズ球団社長としてダルビッシュ有を見守るライアンが、パイオニアの功績と若き挑戦者のあふれる才能について、存分に語ってくれた。
ヒデオ・ノモの登場は一大事件だった。
日本で非常に大きな成功を収めていた選手が初めてこちらにやって来たのだから、関心が高かったのも当然だろう。しかも彼が披露したピッチングフォームは、アメリカの野球ファンがそれまで目にしてきたものとはまるで違う、ユニークなものだった。
私はノモがアメリカに来る少し前('93年)に現役を引退していたから、私自身のキャリアに彼が影響を与えることはなかった。だが現役選手としてのキャリアが彼と重なっていたら、必ず「トルネードのワインドアップ」を試してみようと思っただろう。自分の背中が耐えられたかどうかはわからないがね(笑)!
この1年目、彼はいきなり好スタートを切った。新人王や奪三振王を獲得し、'95年のレギュラーシーズンをMLBで最高の投手の一人として終えたばかりか、ドジャースの地区優勝、プレーオフ進出にも貢献した。これは彼のその後の野球人生にも、いい結果をもたらしたと思う。
ノモは、日本の選手がMLBに来るための“本当の扉”を開いた。
ノモが果たした役割は、それだけではなかった。彼の活躍はMLB全体に大きなインパクトを与えた。ノモは、MLBの各球団が日本の選手についてのスカウティングをもっと真剣に行ない、契約を結び始めるための“本当の扉”を開くことになったんだ。
あれから17年、日本からは多くの選手がこの国に来るようになった。それに伴って、日本人選手に投資される金額も期待も大きくなってきた。ただしノモが彼の後に来た多くの日本人と違ったのは、まだ20代(契約当時、26歳)だったことだ。その若さのおかげもあって、彼は新たな環境に順応しレベルアップすることができたと思う。
そして2012年、私たちのチームに加わってくれたユウ・ダルビッシュも25歳。この若さは、我々が彼を大いに気に入ったポイントの一つだった。