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上原浩治と建山義紀。
メジャーで再会した戦友。
~対決を待つ非エリート同級生~ 

text by

四竈衛

四竈衛Mamoru Shikama

PROFILE

photograph byYukihito Taguchi

posted2011/07/24 08:00

2人は、今年引退を決めたラグビー元日本代表、大畑大介とも高1でクラスメイトだった

2人は、今年引退を決めたラグビー元日本代表、大畑大介とも高1でクラスメイトだった

 幾多の修羅場を経験した2人のプロフェッショナルでも、この日だけは特別な思いに浸った。7月4日、テキサス州アーリントン。オリオールズ上原浩治とレンジャーズ建山義紀は、観客席が無人の試合前、外野の片隅で力強く抱擁を交わした。上原が「メジャーで会いたかった」と言えば、建山は「信じられない気持ち」と素直な思いを口にした。

 2人の出会いは、1991年春まで遡る。東海大仰星高に入学した直後だった。同じクラスになった2人は、ともに野球部に入部する。中学時代、ボーイズリーグで活躍した建山に対し、地元の中学に野球部がなく、陸上部に所属した上原との差は歴然としていた。当時のことを上原は「僕は軟式しかやったことがなかったし、建山は上級生がいてもメンバーに入っていた」と振り返る。だが、上原が控え投手になったあたりで、建山は上原の天賦の才に気付く。

「球の速い投手は他にもいる。ただ、上原ほどの制球と球の質は見たことがなかった」

エリート街道とは縁遠かった2人をつなぐ「戦友」のような感覚。

 この2人の場合、単に同じ野球部で汗を流し、同じ釜の飯を食べた同僚との感覚とも少し違う。春夏とも甲子園に出場できなかったこともあり、卒業後はともに大学への推薦入学はかなわず、上原は一浪して大体大へ、建山は専門学校へ進む。いつ野球を辞めても不思議ではない環境だった。だが、そんな裏街道にいても、2人は頂点を目指し続けた。

 大学で頭角を現し始めた上原に対し、建山は社会人の松下電器でプレーを続け、ノンプロを代表する投手に成長。'97年にはともにインターコンチネンタル杯の日本代表に選出され、翌'98年、2人そろってドラフトでプロ入りした。

 建山は言う。

「僕の調子が悪い時、上原も良くなかったりして、同じような境遇でステップアップしてきたんです」

 ともに、エリート街道とは縁遠かっただけに、無要なライバル心はない。むしろ、同じように先行きの見えない時代を過ごし、もがき苦しんできた「戦友」のような感覚に近いのかもしれない。

「敵であっても、思わず、頑張れって思ってしまいます」(上原)。

 大阪・枚方市のグラウンドで出会い、ともにメジャーの舞台に立った。今回、実現しなかった投げ合いを楽しみにしているのは、ファン以上に、当の2人に違いない。

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