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災難続きの全日本プロレス。 

text by

丸井乙生

丸井乙生Itsuki Marui

PROFILE

photograph byTadahiko Shimazaki

posted2004/07/08 00:00

災難続きの全日本プロレス。<Number Web> photograph by Tadahiko Shimazaki

 歴史は偶然の産物である。誰かがそう言ったとか、言わなかったとか。全日本プロレスの青木謙治取締役は会うはずのない人と、会うはずのない場所で、そして会うはずのないタイミングで出逢ってしまった。果たして、運命は変わったのだろうか。

 事件は5月末に起こった。青木取締役は東京・渋谷のスナックで知人と酒を飲んでいた。午前0時を回った頃だろうか、その知人が今から友達、それも有名人を呼ぶと言い出した。芸能人とお近づきになれると心待ちにしていたら、その人が店に入ってきた。清水健太郎。ギターを持参していた。

 ともに時間を過ごしたのは約2時間半。そのうち1時間以上は、カラオケ機器にギターを繋いで7~8曲の無料リサイタルを開催してくれたという。「全然威張るところがなくて、普通に接してくれました。とてもカッコイイ兄貴でした」。青木取締役は感動した。頼み込んで「失恋レストラン」を歌ってもらった。ついでに某曲の替え歌も歌ってくれた。

 ♪眠れぬ夜は ハルシオン飲んでみるの 大麻はやり過ぎると 歯が全部抜けるから 覚醒剤は もう二度とやらないの~

 翌朝午前10時過ぎ、清水健太郎は覚醒剤取締法違反で4度目の逮捕を受けた。青木取締役は帰宅して上機嫌で目覚めたが、夕刊紙を見て絶句した。7時間前まで一緒だったのに。驚きと共に、前夜に渡した名刺の行方を心配したという。

 そうこうしてるうちに、全日本プロレスに激震が走った。プロレス界きっての“ヘソ曲がり覆面”ケンドー・カシンを7月1日付で電撃解雇することが決まったのである。青木取締役は02年に新日本プロレスから一緒に移籍し、清水健太郎逮捕の際は真っ先に連絡た仲だ。しかし、カシンは5、6月に後楽園ホール大会を続けて2度無断欠場し、せっかく戴冠した世界タッグ王座を封印すると発言。契約違反、服務規程違反で解雇せざるを得なくなった。

 断腸の思いで会見発表した青木取締役をよそに、カシンは水を得た魚のようにフリー選手として活動を始めた。手始めにノアの選手と「合同練習」と称して銭湯へ行き、湯舟に浸かって自分を癒した。公の場にはリクルートスーツに求人情報誌「ガテン」を握って現れ、再就職先の条件に①社長が漫画ばかりではなく、ちゃんと活字を読む、②社長が株の売却方法を知っている、③社長が高級魚のキンキを奢ることに躊躇しない等を挙げ、まるで全日本の武藤社長が真逆であるかのようにうそぶいた。しまいには、新日本時代の仇敵・中西学を引き合いに。「解雇は彼が裏で動いていた。陰謀です。やられましたよ、見直しました」と無実の罪を着せた。

 故ジャイアント馬場さんが正統派のプロレスを目指し、72年に旗揚げした全日本プロレス。00年6月の大量離脱を経て、すっかり様変わりした。全日本にゆかりのある人々、青木取締役、カシンも出逢った頃はこんな日が来ると思わずにいただろう。王道危機一髪から、全日本が巻き返しを図る7月18日の両国国技館大会には、ノアの三沢が離脱後に古巣へ初めて参戦。新たな出会いが、新たな歴史を創造する。

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