スポーツの正しい見方BACK NUMBER
トム・ワトソン、59歳。
全英オープンで魅せた名人芸。
text by
海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa
photograph byGetty Images
posted2009/07/30 11:30
全英オープン最終日。沈めれば優勝が決まる18番ホールのパー・パットを外し、スチュワート・シンクに並ばれたワトソン。敗れはしたが、ワトソン健在をアピールするには十分すぎるほどの活躍だった
タイガー・ウッズに興味を持ってゴルフを好きになった若い世代の人たちは、トム・ワトソンの名前を知らないかもしれない。ジャック・ニクラウスよりすこし遅れてアメリカのゴルフ界に登場し、“帝王”と呼ばれていたニクラウスに対してたちまち“新帝王”と呼ばれるようになったが、わずか10年あまりで全盛期の幕を閉じてしまったからだ。
タイガー並みの快進撃だった全盛期の“新帝王”。
ワトソンは1949年生まれ。スタンフォード大学卒業後の'71年にプロ転向して、'74年のウェスタンオープンでPGAツアー初優勝を遂げると、'87年のナビスコ選手権まで順調に勝ち続け、14年のあいだに37勝を挙げた(むろん、アメリカ以外でも27勝を挙げ、日本では2度のダンロップ・フェニックス制覇を含めて、4勝している)。
当然のことながら、'77年から'80年にかけて4年連続で賞金王を獲得し('84年にもう1度)、8度のメジャー大会勝利もこのあいだに成し遂げられたのである。まさにタイガー・ウッズ並みの快進撃だったといっていい。
だが、ワトソンは'87年のナビスコ選手権を境に、さっぱり勝てなくなってしまった。ワトソンにはタイガーの身に起きた膝痛などの眼に見える故障はまったく見受けられなかった。だから、それまでは年に2勝も3勝もしていたワトソンが、なぜ急に勝てなくなってしまったのか、誰もその原因が分からなかった。
向かうところ敵なしのワトソンを襲ったもの。
やがて、われわれはテレビの画面の中で、ワトソンが30cmから50cm程度のごく短いパットを打つときに、おそろしく苦しそうな表情を見せることに気がつくようになった。無理をして打つと、ボールは弱々しくカップの前で止まるか、さもなければ1mも2mもオーバーした。ワトソンは、ゴルファーだけがかかる“イップス”という病気にかかったのである。
むろん、世界中のゴルファーはワトソンを尊敬していたから、ワトソンがイップスにかかったなどとは誰も声高にいわなかった。当然ワトソン自身も黙っていた。あの止まっているちいさなボールを、よりによってワトソンがカップに入らないことを怖れて打つことができなくなったなんて、みっともなくてどうして人にいえるだろう。
ワトソン復活の一報がアメリカから世界中に打電されたのは、ナビスコ選手権から9年後の'96年であった。その年のメモリアル・トーナメントで勝ったのである。
この優勝ほど世界中のゴルファーをおどろかせ、そしてよろこばせた優勝はなかった。30cmのパットが打てなくて茫然とグリーン上にたたずむワトソンを見て、誰もがワトソンと一緒に苦しんできたのだ。それでゴルフ人生を終えてしまった名人級のゴルファーは多い。サム・スニード。ベン・ホーガン。だが、ワトソンは46歳でついに克服したのだ。