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【競泳ジャパンの軌跡】
彼女たちのアテネ。 

text by

井本直歩子

井本直歩子Naoko Imoto

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photograph byTakamitsu Mifune / PHOTO KISHIMOTO

posted2004/08/24 13:01

【競泳ジャパンの軌跡】彼女たちのアテネ。<Number Web> photograph by Takamitsu Mifune / PHOTO KISHIMOTO

 シドニー五輪後、一度は引退または休養し、再びアテネで五輪の舞台に挑んだ3人の女子スイマーがいた。大西順子、稲田法子、田中雅美。4年間、職業を水泳としてこの五輪のためにやってきた。円熟味を増した3人にとって、アテネ五輪は、どんな味だったのだろうか。

 29歳の大西順子の国際舞台でのキャリアは稲田、田中よりも極端に短い。二人が'92年バルセロナ、'96年アトランタ五輪と、中高生の頃から第一線で活躍しているのに対し、大西が日本のトップになったのは4年前のシドニー五輪選考会が初めてという異例の遅咲きだ。

 その選考会のレースは、今でも大西の中で一番印象に残っている。ダークホースとして「頭の中が真っ白」で泳ぎ切り、気がつくと優勝していた。場内はしーんと静まりかえった。勝った本人は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。

 「あれからすべてが変わった」と大西は言う。レース前に不安に駆られたり、緊張しなくなった。生まれ変わった大西はトントン拍子でシドニー五輪100mバタフライに入賞、メドレーリレーで銅メダルを獲得。翌年の福岡世界選手権では銅メダルを獲得。翌'02年は休養し、昨年の世界選手権から徐々に調子を上げてきた。

 年齢ばかりが話題として一人歩きしがちだったが、大西自身はそれほど感じていなかった。衰えはまったく感じないし、練習も、筑波大の10代の学生たちと同じようにこなした。特別に栄養に気を配ったり、他人がやっていないことをするでもない。あるとすれば、それは年齢を気にしないことだ。ただ目の前にある目標を目指し、泳ぎ続けた。

 今年4月の選考会で、29歳にして初めて念願だった日本記録保持者となり、アテネ五輪を最後のレースにすると宣言していた。

 必ず目標をクリアしてきた大西。アテネでも2大会連続の決勝進出を果たしたが、自己ベスト更新はならなかった。メドレーリレーでは5位入賞に貢献し、それが引退レースとなった。

「楽しかったぁ。自分のタイムは良くなかったけど、決勝に残れて良かった。悔しいとかは思わなかった。実は調子悪かってん。うすうす気づいてて、決勝に残れた時点でいっぱいいっぱいやった。『辞めどきかなぁ』と思った。悔いはない。幸せな水泳人生だった」

 26歳・稲田法子の初五輪は大西より8年早いバルセロナだった。当時、岩崎恭子、春名美佳とともに『中2トリオ』と呼ばれた。アトランタは選考会直前に風邪をこじらせ、出場ならず。8年ぶりの五輪となったシドニーでは100m背泳ぎで5位だった。ライバルの中村真衣が銀メダル。その後、引退を決意した。

 しかし翌年の福岡世界選手権をテレビで見ながら、「もう一度泳ぎたい」という感情が沸き起こった。実は、シドニー五輪前は絶不調だった。「苦しくて苦しくて、嫌で嫌で、絶対やりたくないと思って泳いでた」。悔いが残っていた。

「もっとやれたかも知れない」。

 '01年12月。セントラルの鈴木陽二コーチに、思いを打ち明けた。「もう一度五輪の決勝で泳ぎたい。そこで勝負したい」。しかし追い返された。

「相当きついこと言われた。若い子も伸びてきているし、そんなに簡単じゃないって。それでやっぱり無理なのかな、って思ったけど、やっぱりもう一回やりたいっていう気持ちが強くて、もう一回お願いしに行った」。

 今年の五輪選考会。背泳ぎは世界一レベルの高い争いとなったが、予選、準決勝までタイムが伸びず、正直、一度あきらめた。「そしたら鈴木先生に一言、“ 中途半端で終わるな”って言われて。あー、そうだーと思って、テンションが上がった」。100m、2位に食い込み、3回目の五輪切符を手にした。

 アテネの決勝で泳ぎたくて復活したが、結果は準決勝敗退となった。タイムも自己ベストからは差があった。その直後は不満げな顔で、「あともうちょっとやろっかな」とポツリ。

「結果はまったく納得いくものじゃないけど、今までやってきた過程に悔いはない。今回は本当に、調整もうまくいってて、『これでいけるな』と思ってた。後悔はしていないけど…。何か、どう表現していいのかわからない。新しい感情なんです。また一つ、いい経験ができたなって」

 しかしレース後、数日経って、気持ちが少し変わっていた。原因は、日本チームのメダルラッシュだった。

「私の実力が見えたなって。メダルラッシュで、金メダル獲らないと周りも自分も納得できないような状況だなって。(柴田)亜衣ちゃんの金メダルで、そう感じた。自分にはその勢いはないかなって。もう十分かな。むずかしい…」

 2人とは対照的に、田中雅美は「この4年間で最高のレースだった」とすっきりした表情を浮かべた。平泳ぎの第一人者として国際舞台に出てから10年。

 キャリアの頂点は、シドニー五輪選考会だった。今でも覚えている、雄大で力強いストローク。泳ぐたびに日本新記録だった。世界ランキング1位でシドニーに乗り込んだが、もう一度ピークを合わせることに失敗し、大粒の涙を流した。

 失意のどん底にいたが、「このままじゃ終われない」と渡米し、もう一度五輪を目指した。昨年、3年ぶりに世界大会に復帰したが、100mは決勝進出ならず、200mも7位で、自己ベストから遅れること4秒強。今年4月の五輪選考会では、100mの出場標準タイムを突破することさえできなかった。周囲の注目はシドニーの頃と比べ、格段に下がった。

 そんな中でも、田中は黙々と米国でトレーニングを積んだ。「あきらめちゃだめだ」「悔いのないように泳ごう」と自分を励ました。

 田中はもともと芯の強い、貪欲な選手だ。いつも頂点を目指していた。だからこそここまで長く第一線を歩いてきたのだろう。しかし歳を重ねるにつれ、周囲への感謝を気にするようになった。周囲の多大なサポートに押し潰されているようにみえた。

 だがアテネで、久しぶりに昔の田中らしい「自分のためのレース」を見た。

「200m平泳ぎは2位で決勝に進んで、レベルも高くなくてちょっと驚いた。でも3大会目で初めて"戦えてる"って実感があって、嬉しくて、楽しかった。本当に気持ちよかった。"自分のレースを"っていう気持ちと、"(メダルを)あきらめちゃいけない"っていう気持ちに挟まれてちょっと複雑だった。でもレース中はすごく集中してた」

 結果は100分の5秒差で4位。プールの中で、涙が溢れ出た。

 ずっとメダルが欲しくて欲しくてたまらなかった彼女に、どうしても獲らせてあげたかった。直後、サブプールで顔を合わせた。「最後に最高の泳ぎができた」と清々しい顔。こちらが何とも言えない気持ちでいると、いきなり「悔しいよぉー」と下を向いた。

「あとでもっと悔しい思いが沸々と湧いてくるのかも知れないね。でもほんと、やってきたことに後悔はない」

 思いは三者三様だが、共通するのは「後悔していない」ことだ。経験と誰にも譲れない想いを抱いて、一日一日全力を尽くしてきた。照りつけるアテネの太陽の下で、すべてを賭けて泳いだ3人はキラキラ輝いていた。

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