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運天・ジョン・クレイトン、
“沖縄のダルビッシュ”が秘す反骨心。 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2009/07/02 06:01

運天・ジョン・クレイトン、“沖縄のダルビッシュ”が秘す反骨心。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

強豪ひしめく沖縄県予選を戦い、凄みを増しつつある運天・ジョン・クレイトン投手(浦添工)

 日本は野球大国である。少年野球から始まり、中学→高校→大学→社会人→プロへと続いていくシステマティックな流れはアメリカ野球と双璧と言っても過言ではない。ところが、スポーツマスコミはそう信じていないフシがある。夏の各都道府県大会が始まる前、マスコミは有力選手を紹介するが、そこには必ず台湾、韓国、ブラジル、アメリカなどから来た外国人留学生の名前が挙がる。今年ならファニョニ・アラン、オリヴェイラ・ウィリアム(羽黒)、奥田ペドロ、伊藤ディエゴ(本庄一)たちだ。

「日本人にはない体のバネ」という表現が彼らに対して最も多用されるが、留学生たちはその後の野球人生で意外なほど活躍していない。野球の基礎を作る小学校、中学時代に厳しい野球をせず、フォーム固めが行なわれないことが、高校、大学、社会人と時代を経るごとに成長の妨げになっていくのである。

身体能力だけでは日本のプロ野球でメシを食えない。

 国籍は外国でも、日本の小学校、中学校で野球を経験した選手は外国人留学生と一線を画す。たとえば、ダルビッシュ有はボーイズリーグの全羽曳野で日本的な野球の基礎を作り、東北高校へ進み、ドラフトで日本ハムに指名されて今日に至る。反対の例が陽仲壽で、福岡第一高校入学のとき初めて日本の土を踏み、プロ生活(日本ハム)は今年が4年目。成功・不成功を言うには早すぎるが、期待されている割に、足踏みが長いのは事実である。

 今年の高校球界でダルビッシュタイプを探すと、運天・ジョン・クレイトンが挙げられる。父が米国軍人、母が日本人のハーフで、生まれたのは沖縄・嘉手納基地内。小学校4年のとき我如古(がねこ)ファイターズに入団。その後、宜野湾ポニーズを経て浦添工に進み、今年が高校最後の夏になる。

 昨年までの上体主導のピッチングは身体能力の高さが裏目に出た結果だが、同じ沖縄出身でアメリカ人の父を持つ仲田幸司(元阪神など)、デニー友利(元西武など)もプロに入ってしばらくは身体能力に頼ったピッチングが仇になり、芽が出なかった。デニーは上手投げをサイドスローに変えた西武時代に素質が開花し、仲田はストレート主体のピッチングからスライダーを中心にした技巧派に転じてタイトル(92年奪三振王)を獲得した。

 2人とも猛練習が当たり前だった昭和50年代後半から60年代前半に高校(興南高)時代を送っている。遅咲きの原動力になるのは発想の転換だが、それを可能にするのは若いときに重ねた肉体的・精神的な苦労である。

「身体能力+中高時代の挫折」が大成の方程式。

 運天の1年先輩には我如古ファイターズ、宜野湾ポニーズ時代、常に大きな壁として立ちはだかった伊波翔悟(浦添商→沖縄電力)がいる。アジア大会優勝など、小学、中学時代に大活躍した伊波は名門の浦添商に入学して昨年夏の甲子園でも活躍している。それに対し、東京で行なわれた「江戸川区長杯」出場くらいしか中学時代の実績がない運天は、無名の浦添工に入学し、現在に至る。肉体的にはともかく、精神的に追い詰められていたことは確かである。

 昨年夏の大会前に取材したとき、「目標は伊波くん?」と聞くと、運天は首を振り、「ダルビッシュさんです。たまに似てるって言われるんです」と笑ったが、反骨の人だと思った。

 あれから1年たち、今夏初戦の八重山農戦ではストレートが自己最速の147キロをマークして7回を完封、2回戦では甲子園出場経験のある宜野座をリリーフで0封と、運天は凄みを増している。はたして、運天が歩んでいる道はダルビッシュの道と同じだろうか。

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