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「実績」に屈した福見友子が掴んだ、
柔道世界選手権優勝という「実績」。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShino Seki

posted2009/10/01 11:30

「実績」に屈した福見友子が掴んだ、柔道世界選手権優勝という「実績」。<Number Web> photograph by Shino Seki

9月8日現在、国際柔道連盟ランキング1位を誇る福見。公式戦で谷から2回勝った唯一の選手でもある

 完勝だった。

 5試合中3試合で一本勝ちを収め、残る試合の一つは、手も足も出なくなった相手が失格となっての反則勝ち。時間いっぱい戦った決勝も技ありを奪っての勝利。5試合の中で失ったポイントはゼロ。

 小外刈り、大内刈りなど多彩な足技を繰り出し、背負い投げを見せ、寝技も積極的に仕掛ける。福見友子は、オランダ・ロッテルダムで行なわれた世界選手権で力を見せつけた。

負けたらあとがない──不退転の決意が金メダルに結びついた。

「初戦こそ、やっぱり緊張しましたが、あとはスムーズに行けました」

 強敵と見られていたのは、準決勝で当たった、北京五輪金メダルのドミトルだった。この試合でも、福見は臆せず攻める姿勢を貫き、相手の内股を返して一本勝ちを収めた。

「ひとつ、山だなと思っていました。(今年2月の)ドイツ国際のときはゴールデンスコアまで行ってようやく勝ったので、今回は投げて勝ちたいという思いが強かった。それが強気な姿勢につながったかなと思います」

 そして決勝では、ブランコから技ありを奪っての勝利。試合が終わり金メダルが確定した瞬間、表情をあまり変えず、一度、ぽん、と手をたたいた。控えめな表現だった。

「ガッツポーズとか得意じゃないし、好きじゃないので。あの瞬間は、勝てたという安心感だけですね。ほっとした安心感で叩きましたね」

 安心感、と2度繰り返した。

 福見は、「必ず金メダルを獲る」と決意して今大会に臨んでいた。

 負ければあとがないと、不退転の決意で挑んだ大会だった。

谷亮子との勝負に勝つも、「実績」で退けられた屈辱。

 福見にとって、世界選手権に初めて出場するまでの道のりは、長いものだった。

 過去にも、代表に手をかけたときはあった。2007年の全日本選抜体重別選手権で、1年の休養から復帰してきた谷亮子に勝利して優勝したときである。この大会は、同年の世界選手権代表の選考大会でもあった。

 だが、選考会議が終わってみると、代表に名を連ねたのは谷だった。「実績」が理由にあげられた。

 柔道界の内外で議論が湧き起こった。いつまで実績がついてまわるのか、勝っても選ばれないのか。理不尽だという声も決して小さくなかった。それでも決定が覆るわけもなかった。

 選ばれた谷は、世界選手権で優勝する。すると、翌年に控えていた北京五輪の日本代表の座も、五輪代表選考大会の結果にかかわらず、すでに谷に決まったかのような雰囲気が漂い始めた。実績ゆえに、である。

 この時期から翌春にかけて、大会などで目にする福見から、精気が失われているように見えた。

 以前、話を聞いたとき、福見は当時の状況をこう表した。

「一回上がって、がーんと落ちたというか。天と地を味わった感じでした」

「自分はここで終わっていくのか、どこを目指してやればいいのか分からない状態でした」

 勝っても日本代表には選ばれない。北京五輪代表の座も実質的に遠のいた。失意に陥るのもやむを得まい。

<次ページに続く>

► 【次ページ】  谷ではなく、自分に打ち克つ。福見が積み重ねた真摯な努力。

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